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初めて知った“人生の意味と目的”

2020-10-07T17:18:15+09:00

米・ホーリー=ファミリー大学 看護学科教授 ボアス・ユーさん ストレスを無くす「心を引き算する瞑想」の驚くべき効果、研究し続けたい 2013年、スウェーデン、台湾、アメリカなどの学者を中心に開かれた国際学術会議で私は「心を引き算する瞑想」に関する研究結果について発表しました。 この発表を行なった背景には、私がこれまでこの瞑想を通して非常に多くのものを得た事実があります。 瞑想効果の検証にあたっては同僚の教授たちと共に研究をスタートしました。 大学に「心を引き算する瞑想プログラム」を導入し、教職員と学生あわせて99名を対象に2011年1月から1年半の間、週4回・1回30分ずつ「心を引き算する瞑想」に取り組んでもらいました。 その結果、「心を引き算する瞑想」に取り組んだ人たちの活力と幸福指数に統計的に有意な上昇が認められたのです。 中でも不思議だったのは、学生たちは短時間の瞑想で顔の表情がおだやかになり、明るくなったという点です。 アメリカ社会はストレス指数が特に高く、様々な学術大会で瞑想の効果について発表したところ多くの関心を集めました。 私自身、「心を引き算する瞑想」を始めたきっかけがストレスの解決のためでした。 悟りとは、すでに自分の中に存在するもの 12歳のときに家族と共にアメリカへ移住して以降、私には様々なトラブルがあり、そうしたことから自由になりたいという思いがありました。 中でもアメリカ人である夫との夫婦生活では深刻な葛藤がありました。 事業の不振に苦しむ夫をサポートするのに私は必死でしたが、しだいに互いの意識にすれ違いが生じ、ぶつかることが多くなっていきました。 これ以上、生活を共にしていくことはできないとの判断から離婚を切り出した私に対し、納得できなかったのか、夫は私を訴えたのでした。 以後、3年以上にわたり私たち夫婦は法廷で争い続けるというつらい日々を送ることになりました。 私の放浪が始まったのはその頃からでした。 「これまで自分なりに精一杯努力しながら生きてきたのに、なぜこんなことになるのだろう…」 信仰に救いを求めましたが、心のむなしさを埋めることはできませんでした。 旅行にも出かけ、瞑想や座禅などにも取り組んでみましたが、私は次第に、生きることに何の価値も見出せなくなっていきました。 そんなある日、母から「心を引き算する瞑想」のパンフレットを受け取りました。それを見て私はとても驚きました。そこには明確な瞑想方法があったからです。私はそれまで様々な瞑想に取り組んでいましたが、どれもみな、これといった明確な方法はありませんでした。 私はすぐに「心を引き算する瞑想」を始めると、過去の経験、感情、挫折した時の記憶など心の中のあらゆる荷物が日常生活に影響を及ぼしていたことに気付きました。 瞑想センターで教えられた通りに過去の人生をふり返り手放していくと、私の心はどんどん穏やかになっていきました。そうして最初の瞑想段階を終える頃、「ああ、宇宙が私なんだ」という悟りが静かに訪れました。 本当に驚きと感謝の体験でした。そうして私は知ったのです。悟りとは自分の外側に見つけるものではなく、自分の中にすでに存在するものだということを。心を捨てて自らの本来があらわになるプロセスで悟りは自然に訪れるものなのです。 やつれ果てていた顔が若返って、とてもおだやかに 「心を引き算する瞑想」にはレベル1から7までのステップがあるのですが、レベル2からは大学の長期休暇を利用して韓国にあるメインセンターで瞑想に取り組みました。そうして改めて自分の人生をふり返ってみたのですが、本当に恥ずかしかったですね…。 私は自分のことをいつも善良な人間だと思っていたのです。 キリスト教の教会を受け持つ牧師の娘として育った私はとにかく人々に良い顔をしなければならず、同時に、人を助けなければならないという思いを常に持っていました。 ところが人生をふり返ってみると、それらは本心からのものではありませんでした。自分一人、立派なふりをしていては相手のことを理解することもできませんよね。私はしょっちゅう怒り、あらゆることを他人のせいにしてきましたし…。他人のせいで自分がストレスを被っていると考えていたのです。 本当に間違っていたのは自分自身であり、自分の中に様々な心をためこんで作った自分の思い込みだったことに心を捨てていく過程で気付きました。その結果、夫に心からの謝罪と感謝をすることができるようになりました。 私の変化に一番驚いたのは両親でした。 「やつれ果てていた顔が若返って、とてもおだやかになった」と驚きの声を上げるほどでした。牧師である父が教会の人々に「心を引き算する瞑想を学びなさい」と勧めるのを見た時は本当に驚きました。両親は、人生で一番つらい時の私をそばで見守っていただけに、その変化にはとても大きなインパクトがあったのだと思います。 私自身、ストレスのない人生は実現可能だという事実に心から感謝しています。私が今、研究として取り組んでいるのは「引き算の瞑想」に取り組んだ140名あまりの看護師や学生たちがその後、学業や心身にどのような変化を受けたかを明らかにすることです。 人生の答えは、心を空っぽにして自分の内面と向き合った時にはじめて見つかる 私が指導する看護学科の学生の中には現役の看護師たちもいます。 看護師でもある学生たちは学業に追われるストレスに加えて職場でのストレスも抱えているわけですから、そうした姿を見ると何ともいえない気持ちになります。 心や体に病を抱えて苦しむ人々をケアしなければいけない職業だけに看護師たちのストレスは並大抵のものではありません。 そうした現場で働く人々に私の研究が少しでも役立てばと思っています。 私は博士号取得論文のテーマとして介護士を取り上げたことがあります。8人の介護士に会い、その日常生活を取材し、かなり踏み込んだインタビューも行ない、そうした内容を土台に分析を行ないました。その結果、予想もしていなかった非常に興味深いことがわかりました。 介護士たちの口からは、仕事のストレスとやりがいの話が主に出てくるだろうと想像していたのですが、どの介護士たちにも共通していたのは、仕事を通して人生のむなしさを感じるという話でした。 すなわち、どれほど立派な人物であってもやがて年を取り、病にかかるという姿を日常的に見ている介護士たちは仕事を通して「人生とはじつにむなしいものだ」という思いを共通して持っていたのです。 本当にその通りだと思いませんか? 人が生まれて生きる理由が、あわただしく生きては年老い、病にかかって死ぬためだとしたら人生がむなしく感じられるのは当然です。 私が「心を引き算する瞑想」を通して悟ったことは、人が生まれた理由と目的はハッキリとあるということです。 自分は誰なのか、どこから来てどこへ行くのか。その答えと出会うために私たちは様々なことを経験しながら人生という道を歩みます。そしてその答えは唯一、心を手放し空にして自分自身の内面としっかり向き合った時にはじめて見出すことが出来るのです。 体験談ホーム

初めて知った“人生の意味と目的”2020-10-07T17:18:15+09:00

スポーツ選手にとって最高のメンタルトレーニング

2020-09-11T16:34:17+09:00

C・Gさん/スカッシュ選手 「『すべてのスポーツは心理戦』。そう断言できるくらい、試合中に自分の心をどれだけコントロールできるかはきわめて重要です。 そうした意味で私はこれまで、心を引き算する瞑想にたくさん助けられてきましたね。 この瞑想のおかげで全国レベルの選抜メンバーにも選ばれ、4年連続で全国大会にも出場できましたから」と語るC・Gさん。 スポーツと心の関係についての興味深い体験談です。 興味本位で始めたスカッシュ。「もっと上手くなりたい」という思いが募って…。 スカッシュとの出会いは大学1年の時でした。知り合いのコーチから勧められて始めたんです。実際にやってみるとこれが面白くて、夏休みを利用してインストラクターの資格を取るほど夢中になりました。 そうして大学生活もスポーツセンターでスカッシュの講師をしながら送りました。 スカッシュとは、“ボールを四方の壁に叩き込む”という意味の言葉で、イギリスの囚人たちが刑務所でしていた、壁にボールをぶつけるゲームに由来します。 前方の壁だけでなく左右、後方の壁も利用しながら目まぐるしくボールを打ち合うスカッシュでは、一瞬一瞬の判断力と瞬発力、常に動き続ける体力が重要です。 ですからエネルギーの消耗量は半端じゃないですね。一般の人がスカッシュを5分~10分もすれば大半がヘトヘトになっていまいますよ。 それほどハードなスカッシュですが、ボールを全力で叩くと固い心に風穴があいて、たまったストレスが一気にほどけていくような気分になれるんですね。そんな所に魅力を感じて私はスカッシュにのめりこみました。ボールを思うがままにコントロールして相手に打ち勝った時の気分は最高です。 そうして私は大会にも出場するようになったのですが、ある時から敗けることを極端に嫌うようになりました。敗けるたびにプライドが傷つき、勝ちたいという強い気持ちが生まれるようになりました。 過去の失敗から自由になりたくて始めた瞑想 私はもともとスカッシュに興味があったわけですが、始めた当時はスカッシュの知名度は今よりもっと低かったんですね。国からの補助金もほとんど得られないような状態でしたから選手たちは会社に勤めたり別の仕事をしながら試合に出場するケースが大半でした。 ですからスカッシュの選手として生きていくことを決めたときは周囲からだいぶ心配されました。幸いにしてその頃、国家代表選手と合同で9ヶ月間のトレーニングをする機会に恵まれ、おかげで志を同じくする人々と一緒にトレーニングできたことは大きな励みになりました。 そうしてトレーニングを積み重ねる過程で幸運にもスカッシュの認知度は上昇し、私も自分の実力を多くの人に認めてもらおうと努力を続けました。 ところが、思ったよりも成績は振るいませんでした。 当時の私には試合中に出る悪いクセがあったんです。ミスをしたり自分のプレーが思うようにいかなかったりすると試合中ずっとそのことを考えてしまうんです。そのプレーはすでに終わったことなのにもかかわらず、です。 この問題をどうすれば解決できるのか悩んでいた時、恋人の紹介で心を引き算する瞑想と出会いました。 ミスを繰り返す原因を見つけてとにかく引き算 一番最初にセンターのガイドの方からこんな説明を受けました。 「私たちは今まで人生で足し算ばかりしてきましたよね。でもこの瞑想は心を引き算するものなんです。引き算すればすべては無いものなんですよ」と。 この言葉は私にとって希望のメッセージのように聞こえました。 その競技で生計を立てようとするアスリートにとって、試合に勝たなければならないというプレッシャーの大きさは、経験した人でなければわからないと思います。本当に大変な重圧です。特に大きな試合を前にするとありとあらゆるネガティブな考えが出てきてしまうものなんです。 「試合に敗けたらどうしよう」 「ケガをしたらどうしよう」 「今後の収入はどうなるだろうか」 「敗けたら周りから何て言われるだろう…」 ボールをコントロールする立場なのに、ボールに囚われ支配されてしまうんです。 そのため、普段は高い実力を持っている選手でも実際の試合になると十分な実力を発揮できないケースは少なくありません。 瞑想を始めて何日か経つと、人生の様々な記憶が一気に押し寄せてきました。小さい頃のつらかった思い出から試合で敗けた時の記憶まで…。 驚いたのはそうした記憶が心の中だけでなく、体の細胞一つ一つにまで染み込んでいるということでした。おかげで同じ失敗をなぜ繰り返してしまうのかがよくわかりました。 スポーツ選手ならみな知っていると思います。 以前に犯したミスを試合中の決定的な瞬間に自分が繰り返してしまっているということを。 本当に知らないうちにやってしまうんです。練習を懸命に繰り返して弱点を克服したと思っても、一瞬の判断でなされる実戦では元の木阿弥になってしまったり…。 無意識的な行動の数々は体の記憶によることを悟った時、あたかも永遠に解けない謎を解き明かしたような気分でした。それ以降はとにかく引き算の瞑想に没頭しました。 努力した分だけ理想のプレーを実現できる幸せ この瞑想と出会ってから私自身が一番変わった点は、ひたすら競技だけに集中するようになったことですね。 ただスカッシュが楽しくて夢中になっていた頃の気持ちを取り戻したとでもいうか…。ある時、気がつくと私は笑顔で試合を楽しんでいたんです。 心に余裕が生まれると視野も広くなり、自分や対戦相手がどのようなプレーをするのかも冷静に見えるようになりました。体と心に染み込んだ記憶に縛られることが無くなると、自分の望んだプレーを実現できるようになったんです。 複数の選手とチームを組んで試合をする時にはチームワークが何より重要になりますが、2ヶ月もの間、合宿形式で合同練習をした際はみなが互いのプレーを生かす動きができました。私が全力で叩き込んだボールをどのチームメイトも見事に打ち返してきて、スキを見せるヒマも無かったほどです(苦笑)。 合宿ではお互いのプレーを通して自分に足りていない部分を補強することができてチームメイトたちには感謝でいっぱいでしたね。 以前はミスをしたことで自分を責めたりしたんですが、今はミスも教訓としてとらえられるようになり、弱点を事前に把握した上で試合に臨めるようになったため、実績も次々に残せるようになりました。 スポーツ選手としては日頃の努力の成果を試合で発揮できた時ほど幸福な瞬間はありません。 他の選手にも心の引き算を通して最高のパフォーマンスを発揮してもらえたらと思います。 体験談ホーム

スポーツ選手にとって最高のメンタルトレーニング2020-09-11T16:34:17+09:00

すべての疑問に対する答えを与えてくれました

2020-09-07T18:47:42+09:00

ミハイ・ミハルチク (内装業/オーストラリア・パース在住) 「私は誰なのか?」 「どこから来たのか? なぜ存在するのか?」 「人生とは何か? 死とは何か?」 こうした疑問に対する答えを私は人生で常に求めていました。 幼少の頃から両親や教師、通っていた教会の牧師にこうした質問をぶつけたりもしました。しかし、大人たちは様々に答えてはくれるものの、知ったかぶりをするだけで本当の答えを知らないことは幼い私の目にも明らかでした。 どこにも見出すことのできなかった人生の答え 成長するにしたがって私は人生の疑問に対する答えをあきらめるようになりました。 一度きりの人生、どうせなら全力で生きてみよう、思い切り楽しめるだけ楽しもう。そう考えたのです。ですが、そうした思いは長くは続きませんでした。 どれだけお金を稼いでも様々なものを買い求めてみたりたくさんの女性と出会ってみても、周囲からは幸福そうに見えていたのかもしませんが、そうした行為からもたらされる喜びや楽しさはほんのつかの間で、長続きしなかったのです。私の内面は空虚で不完全で満たされないままでした。 私の心は永遠の幸せを渇望していました。しかしながらそれはどこで見つけられるものなのか、そもそもそんなものが存在するのかどうかすらわかりませんでした。 それから月日は流れ、無意味なことの奴隷になって送る人生に心底嫌気がさした私の心に、幼少期の頃に抱えていたあの疑問の数々が再び思い浮かびました。今から数年前のことです。 「私は誰なのか?」 「人生とは何か?」 「ただ食事と排泄の繰り返しが人生のすべてなのか?」 「今よりもう少しの幸せのためには常に今を苦痛と引き換えにしなければならないのか?」 「自分が相手よりも優れていることを証明するために争い、人より多くのお金や大きな家や、より高価な物を所有していることを誇示し、そして死ぬ。それが本当に自分が生きる理由なのだろうか?」 私は人生にただ一つの幸福も見出すことができませんでした。 すべての疑問への答えを与えてくれた心の引き算 ところがある日、散歩をしているときにパース瞑想センターの看板が目に映りました。そして何気なくセンターに立ち寄ってみたのです。短い説明を受けたのですが、ここには人間の心を宇宙の心に変えるメソッドがあり、センターの人々がその方法を知っているのを感じました。私はそれまでも様々な所を訪れてみたりもしていたのですが、具体的な方法や結果はありませんでした。しかしこのセンターでは、心を捨てれば自分みずからがすべてを知ることができるというのです。私が望んでいたのは答えを聞くことではなく、私自身が答えそのものを手にすることでした。 「ここだ!」 私はそう思いました。 翌日から瞑想方法にしたがって瞑想を始めました。センターに入ったとき、人々が私から何かを得ようとするのではなく、私を心からサポートし答えにたどりつけるよう力を貸そうとしてくれているのがわかりました。みな情熱的で献身的に案内をしてくれました。 瞑想方法はとてもシンプルで簡単なものでした。私はその方法に魅了されました。そうして2週間が経ち、瞑想の最初の段階を終える瞬間の出来事でした。 「私は誰なのか?」という、人生における最も大きな疑問。その疑問への答えを私は悟ったのです。本当に奇跡のようでした。 私の両親は宗教への信仰を持っていましたが、その両親も「私は誰なのか?」「人生とは何か?」「死とは何か?」に対する解答を私に与えることはできませんでした。真理を得ようと世界中を旅してたくさんのことを試しましたが、私はいつも空虚でした。しかしここにその方法があったのです。 1段階から7段階までの瞑想をしながら私は、それまで抱えていたあらゆる疑問への解答を得ました。狭い自分の人間の心、自分の人生のビデオテープとそこから生じる数多くの考えの中にいたために不完全で人生がストレスと苦痛でしかなかったのです。自分の思いに沿うようにこの世の中を変えようとするから苦労するしかなかったのです。しかしその思いを手放すことによって無限大の本来の宇宙の心に帰ることができました。 ストレスでいっぱいだった心に今は幸せだけが満ちている 私は本当の故郷である自分の本来を取り戻しました。人間の完成を実現しました。この世の中は完全で、平和な心と共に永遠の安定を得たのです。人生における苦痛とストレスから抜け出して生きられる有難さと幸せは本当に言葉で表現できるものではありません。また、私が手にした永遠の生と幸福の前ではどれほどの富と名誉も何の輝きも持ちません。 この文章を書きながらも涙がにじんでしまいます。監獄にも等しかった人間の心から解放され、永遠の幸福とそして自由を与えてくれたこの方法に心から感謝しています。 アレクサンダー大王は剣で世界を征服しましたが、人生において成功することはできませんでした。彼は臨終の際、自らの遺体を棺に入れる時には自分の手を棺の外に出し、人々の目に触れるようにせよとの遺言を残したそうです。人間がこの世に生まれる時、みな何も持たずにやってくる。その後どのような力を得て金持ちになろうが有名になろうが、この世から離れる時は再び手ぶらで旅立ってゆく。そのことをアレクサンダー大王は人々に示したかったといいます。 有難いことに私はこの驚くべき瞑想法のおかげで、アレクサンダー大王のように剣で世界を征服する道ではなく、本当の世界を覆っていた偽りの自分の心を手放すことで本当の世界を手にする道を歩むことができました。 この瞑想法はとてもシンプルで簡単で誰でも取り組めるものです。私にも、他の大勢の人々にも取り組むことができた方法です。この体験談を読んでいるあなたにも取り組むことのできるものです。ぜひ最寄のセンターでこの瞑想を始められることを願っています。今や人間の心から抜け出し宇宙の心となって私たち皆が一つの心で生きる時代がやってきたのです。 体験談ホーム

すべての疑問に対する答えを与えてくれました2020-09-07T18:47:42+09:00

パニック障害は静かに消え去りました

2020-08-28T18:07:21+09:00

職場での過度のストレスからパニック障害を患ったというG・Kさん。 「すべては心の問題」という医師の言葉から、空気の良い田舎へ移り住んだり、心に関する自己啓発書を数多く読んでみたりもしたものの、答えに出会うことはできなかったという。 “このまま死ぬんだな”と思い詰めていた時、同僚から勧められたのが心を引き算する瞑想だった。 心を引き算しただけなのに、パニック障害は何事も無かったかのように静かに消え去った。 心の病に苦しみ続けたある会社員の瞑想体験談。 心に過剰な負荷がかかるとパニック障害が起こる 入社して5年たった頃、私は他の支店に転勤になりました。不慣れな環境に適応する間もなく上司から浴びせられる指示の数々…。 処理しなければならない書類は常に山積みで目の回るような忙しさでした。 職場の人々ともよくもめました。 上司の一言に深く傷つき、一方で評価される同僚への劣等感は大きくなる一方でした。 「上司は他の部下ばかり可愛がり、私のことは嫌っている。出身地方も違うから良くしてもらえない…」。 周囲の人々の姿を自分勝手に解釈し、自らを苦しめ、私はどんどん卑屈になっていきました。自分が育った環境まで恨めしく思いました。田舎の島で育った私が上京してからずっと持ち続けていたコンプレックスでした。 小さなことまで根に持ち寛容でいられない自分が情けなく思われました。そんなある日のこと。 会社で昼食をとり、イスにもたれて休んでいると不意に不安が襲ってきました。まるでそれまで全身に眠っていたスイッチが一気に入ったかのように、体中に不安感が押し寄せてきたのです。 退勤時間になるや否や会社を飛び出し帰宅しようとしたものの、気分が悪く帰りの電車に乗り続けていられず、途中下車しなければなりませんでした。あわてて病院を探し駆け込んだのは夜間の救急病棟でした。 冷や汗で全身びっしょりになり、呼吸するのも苦しく、頭から足のつま先までマヒしたかのようでした。「このまま死んでしまうかもしれない」。そう思いました。 これが、その後も続く病魔との戦いの始まりでした。 突然増えた仕事量は強いプレッシャーとなり、心に大きな負荷をかけていたのです。 「薬は補助に過ぎない。心を入れ替えろ」と医師は言う。しかし、どうすれば… 病院の診察でパニック障害だと診断されました。医師からは「薬は補助的な役割を果たすに過ぎないから、心を入れ替えなければ良くならない」と言われました。でもそれでは一体、どうすれば心を入れ替えられるものなのか…どうしていいかわかりませんでした。 心は常に緊張状態で心臓の動悸にも悩まされていました。おおぜいの観客のいる舞台に立っているような気分。緊張がひどくなると過呼吸で息が出来なくなります。 いつそれがやってくるかもしれない不安から体重はどんどん落ちていきました。恐怖感に突然おそわれたり、地獄にいるような恐ろしさを24時間味わったこともありました。 静かな環境に身を置けば症状が改善するかもしれないと思い、地方勤務を願い出たりもしました。しかしそうした場所でも症状に変わりはありませんでした。 その後、都市部の支店に戻りました。業務自体はさほど大変ではなくても、息が詰まるほどあわただしい大都市の業務習慣は相変わらずで、私が精神的にもろくストレスに弱いからこんな病気になったのだという思いが頭から離れませんでした。 心をコントロールできるという本も読み、心を落ち着かせようとしましたが、たいした効果はありませんでした。悪いことは重なるもので、引っ張られたギターの弦のように後頭部がひきつる症状まで現れ、絶え間ない死の恐怖にさらされる思いでした。 小心な自分と共に静かに消え去ったパニック障害 40代に最も多いと言われる“突然死”。まさに自分がその犠牲になるのだなと思いました。そのとき不意に以前同僚から勧められた「心を引き算する瞑想」のことが頭に浮かびました。すぐさまセンターに行き、死ぬ気で心を捨てました。 この弱い心のためにこんな病気にまでかかり、これまでどれほど苦しんできたことか…。そんな心を捨て去ることができるということ自体、本当にありがたかった。 悲惨だった日々のことが脳裏に浮かびました。 家族の前で歌を歌うことすらできないほど小心で、学級会では一言も口にできなかった学生時代…。 自分は弱い。自分は小心者。そんな記憶の数々を思い浮かべ、こんな気弱な人間に自分を生んだ両親への恨みつらみも捨てました。 私は周囲の人々に優しい善良な人でいたいと普段から思っていました。しかし自分の内面をふり返ってみると、人からほめられたいがために行動していただけだったということがわかりました。そのため、私なりに良くしてあげたと思っていた人から非難されたりすると大きく傷ついていたのです。 そうした心の傷の数々が私をさらに緊張させ、萎縮させていたのです。心の傷が私のストレスになっていたのでした。私はけんめいに心の傷を捨て続けました。 そうした心の傷の数々が私をさらに緊張させ、萎縮させていたのです。心の傷が私のストレスになっていたのでした。私はけんめいに心の傷を捨て続けました。 そしてあるとき感じたのです。書類一枚、周囲の人から発せられる一言、上司の指示一つに縮み上がり傷ついていた自分という存在が消えてなくなってゆくのを…。 死ぬ気で心を捨てていただけなのに、私は少しずつ変わっていきました。そして私を苦しめてきたパニック障害もいつの間にか静かに消えていったのです。 本当に奇跡といっていいほどの出来事でした! この世の中は自分の心をそっくりそのまま映し出す。つらく苦しいのならその心と向き合うこと。 その後、当然のように職場での生活も変わりました。周囲とぶつかることも減り、物事を広く見て受け入れる余裕が生まれました。以前のように仕事に取り組む前から「上手くいくだろうか?」と心配し焦ることもなくなりました。結果は時間が経てば自然にわかるものなのだから、その過程で最善を尽くせばよいのだと思えるようになりました。 一緒に働く同僚たちにも感謝でき、人を批判するよりも自分が自分の仕事にベストを尽くせているかどうかを気にかけるようになりました。 すべてがあっという間に移り変わる現代。あらゆる人が「職場でのプレッシャーは増すばかりだ」と口にします。これまでのスタイルにこだわり、自分を変えようとしないのなら今後その重圧は増大する一方だと思います。 幸いにして私は心を捨てることによって、それまでの凝り固まった固定観念も同時に変えることができました。おかげで新しい分野への関心も生まれ、後輩たちにも気兼ねなく助けを求められるようになりました。 人前ではまともに話すことも出来なかった私が、気がつけば家族をリードし、また同窓会のような集まりでは司会をするようになりました。多忙な日常ではありますが、暮らしに追われているという思いはありません。いつも前向きです。 「この世は自分の心をあるがままに見せてくれるものだ」という言葉があります。今この瞬間、ストレスで苦しんでいたり、好ましくない出来事によって悩んでいるのなら、まずは自分自身の心から見つめ直してみることを私はお勧めしたいです。 自分のことを振り返ってみることができるということは、とりもなおさず新しい自分、新しい世界と出会う準備が出来ているということなのです。 [...]

パニック障害は静かに消え去りました2020-08-28T18:07:21+09:00

心的外傷後ストレス障害(PTSD)を完全に克服できました

2020-08-28T18:07:09+09:00

消防士のジャン・ハクスさん(46才)は、心を引き算する瞑想を通じて心的外傷後ストレス障害(PTSD)を完全に克服できたという。 彼が取り組んでいるのは、火災、交通事故、山岳事故などの各種緊急事態に対応し国民の生命と安全を守る仕事である。職業柄、凄惨な事故現場を目の当たりにせざるを得ない身体的・精神的なストレスから心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患い長年苦しんできたが、心を引き算する瞑想と出会い、自分を縛り付けてきた過去の記憶からようやく自由になれたという。そんな彼は今「誰かを救うことができるということに感謝しかない」と語る。 出動ベルが鳴ると、一刻も早く現場に駆け付けようと反射的に体が走り出します。自分がいつどんな状況にさらされるかも知れない緊張の連続。その上、人命救助は時間との戦いです。最初のころは出動に対するプレッシャーがすごかったですね。それでも尊い人命を救い出せた時の充足感と喜びは言葉では表現できないほどです。 消防士の仕事で最もつらいのは事故現場で目にする悲惨な光景です。私が初めて人の死に触れたのは交通事故の現場においてでした。中年女性の遺体を運んだのですが、その時の光景は長らく脳裏から離れませんでした。 2005年に救急救命士の資格を得て本格的に救急救命にあたることになってからはさらに深刻な場面に遭遇することになりました。 転落死、自殺、交通事故など各種事件・事故の現場に赴くうちにいつしかその場面が深く記憶に刻印されるようになったのです。 任務中にもふいに脳裏に浮かんできたり、夢に見てうなされたり…。以前行った現場と似た状況に出くわすとその時の記憶がよみがえって本当に苦しかったですね。もうこんな光景は二度と目にしたくないと切実に思ったりもしました。仕事を辞めることも真剣に考えるほどで、また現場で命の危険を覚えることも少なくありませんでした。 2002年には大きな山火事があったのですが、一挙に炎に包囲され命を落とすところでした。幸い消防ヘリのおかげで九死に一生を得ましたが、そうした体験をして以降は出動ベルが鳴ると恐怖を覚えるようになってしまったのです。 そうして2007年に地方の勤務地で3年を一人で過ごすうちにうつ病になりました。火事が起これば消防車で駆け付け、けが人や病人がいれば救急車で病院まで運び…。一人で現場を回していましたから「もう一人だけでも誰かがいてくれたら」と思いましたね。頼れる同僚もいない中で任務を果たすプレッシャー、さびしさと恐怖、そのうち何事にも無気力になり、「この仕事を続けるべきなのか」と幾度も悩みました。 心を引き算する瞑想と出会ったのは偶然そんな時期でした。「本当に心を捨てることなんてできるのだろうか?」。そう思いましたが、自分を苦しめる考えから少しでも自由になりたかったですし、現状から抜け出したいという思いで解決策を探していた最中でしたから、すぐに瞑想センターを訪れることにしたのです。 最初のころは、記憶を思い返して捨てるということに苦労しました。特に死と関連する記憶を捨てる時は悪戦苦闘しましたね。そのうち「どこまでやれるか勝負だ!」とやけっぱちになって捨てたりもして、そうこうするうちに自分にとって死に対する恐怖がなぜここまで大きかったのかがわかるようになりました。 幼少のころ、ひいおじいさんが亡くなったのですが、その時、葬儀でお経を読み上げるお坊さんの姿や弔問客をじっと見ていた自分…。怖くて自分の部屋にも入れなかった記憶…。そんな人生の記憶の数々が自分の中に保存されていて、それが自分の心を突き動かしていることに気付いたのです。その事実を知ってからはより懸命に瞑想に取り組みました。するとある時、「ああ、これらはみな実在しない虚像なんだ…」と心から悟ったのです。 その時から本当にきれいに心を捨てられるようになりました。 また、不思議なことに瞑想に取り組んでからたった三日で、布団に入るや否や眠れるようになりました。私には睡眠障害があり、布団に入っても寝入るまでに一時間以上かかり、さらに途中で3,4回は目を覚ましてしまう状態でいつも疲れが取れなかったのですが、朝までぐっすり眠れるようになって最高の気分になったのです。 そうして瞑想を続けていると、ある時、心の中にあったずっしりとした重石(おもし)のようなものがドカンと砕けて一切がなくなったかと思うと、いっぱいに満たされている感じがしました。そして宇宙が本当の自分であることを悟りました。その瞬間がどれほどうれしいものだったか…。まるで一寸先も見えない濃霧の中に一筋の光が差し込んだかのような、それまで山積みだった宿題が一瞬で片付いたような気分でした。 じっさい生と死の境を行き来する仕事をしていると、人の命はハエの命と変わるところがないのだなと感じる瞬間があり、いつもむなしい気持ちを私は抱えていました。一体、生きるとはどういうことなのか、その意味を求めていましたが、瞑想を通じてその答えと出会うことができたのです。この体が生きるということなのではなく、宇宙と一つになり、その精神として永遠に生きることこそ本当の生であるということを…。 休暇が終わってからも引き続き地道に瞑想に取り組みました。 そうしているといつからなのか、自分の変化を感じ取れるようになりました。まず出動に対する恐怖が少しずつ薄れていきました。働くことができることに感謝でき、自分の仕事が人を助ける仕事であることに感謝でき、共に働く同僚たちに感謝でき…。すべてを前向きにとらえられるようになり、今の仕事は天職だ、自分の居場所はここなんだと気持ちが大きく変わったのです。 何よりも素晴らしかったのは、自分を苦しめたあの悲惨な現場に関する記憶の数々から自由になれたことです。いつも避けたくて仕方がなかった事件事故の現場で冷静沈着に任務を遂行する自分の姿には私自身が驚くほどです。そうして心の平穏を取り戻すと、一日に10件以上の事故処理にあたっても疲れ知らずになりました。そのとき私は悟ったのです。本当の休息とは、心が安らいでいることだと。 消防士、警察官等の職務現場では、他の職業と比べて心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩む人が少なくありません。はたから見れば明るい人でも、そうした内面を押し殺しながら勤務している人は多いのです。そうした人々には特に「心を引き算する瞑想」をやってほしいですね。わが家をきれいにリフォームするように、自分の心もリフォームする。そんな感じで瞑想に取り組んでもらえたらと思います。傷み疲れた心を手当てして、重たい記憶も取り除けば、安らかな新しい心で生きることができますから。 今は出動ベルが鳴ると無心で体が駆け出します、何の迷いも不安もなく。「さあ行くぞ!」。そんな思いで真っすぐに自分が必要とされている場所へと力いっぱい向かうだけです。 体験談ホーム

心的外傷後ストレス障害(PTSD)を完全に克服できました2020-08-28T18:07:09+09:00

引き算してこそ元気になる

2020-10-07T17:18:59+09:00

引き算してこそ元気になる ロボットの頭脳と人の心の共通点 チェ・チュンボ(ロボット科学者) 世界トップクラスの産業用ロボット製造会社として知られる米・ブルックスオートメーション。その専務理事を務め、同時にロボットの頭脳を研究する科学者でもあるチェ・チュンボさん。彼女が率いるロボットソフトウェア開発チームは、世界最高の人材が集結していたことから“小さな国連”と呼ばれたという。40歳で工学の勉強を始め、1995年にブルックスオートメーションに入社してわずか4年で理事へと登りつめたアジア人女性だ。最盛期の年棒はアメリカ上位5%にランキングされるほど高額なものだったが、解くことのできない人生の疑問への答えを求める過程で彼女は「心を引き算する瞑想」と出会った。 残された人生の時間は、これまで送ってきた時間より少ない―そんな思いが強かった 2002年、50歳になった時のことです。 「自分に残された時間って、もう多くないんだな」 そんな思いがとつぜん湧き上がってきたのです。 「残された人生は神の意思に従って人に奉仕する人生を今からでも送ろう」。 そう思いました。 でも、いざ奉仕するといっても何を始めたらいいのかもわかりませんでした。何よりも私自身の心が、奉仕する姿勢になっていませんでした。 自分の身を低くして相手を尊重する心にならなければいけないのに、私はそうなれなかったのです。 素晴らしい本も読み、良いという講演にも足を運んでみましたが、思ったようには私の心は変わりませんでした。 そうして7年が過ぎたある日、心を引き算する瞑想に関する本と出合いました。 “心を引き算する”という言葉が印象に残り、2010年7月に休暇を取って韓国のメインセンターへ向かいました。 私はいつも自分のことを幸せだと思っていました。二度の結婚と離婚というつらい日々もありましたが、40歳の時に工学の道へ進んでからはすべてが順調でしたから。 40歳でマサチューセッツ州立大学で工学を専攻し3年で卒業、43歳で新入社員としてロボットオートメーションの現場へ入りました。ロボット研究があまりに楽しくて本当に寝食を忘れて働きました。新入社員が4年で理事まで昇進するのは会社でも異例の事でした。 ところが、そうした日々のすべてが結局は自分が目立つために、自分だけのために懸命に努力した日々に過ぎなかったことを知った瞬間の恥ずかしさといったら…。その“立派な自分”をどうか手放させてくださいと祈りながら瞑想を続けました。優越感、劣等感、老後の不安…。そんな心の数々を捨てていくとある時、ものすごく心が楽になったのです。「ああ、これが自由で幸福なんだ…」。そうして本当の自分を悟ったのでした。 本当の自分には痛みも、心配も、立派なことも駄目なこともなく…。本当の自分と一つになって生きられるということに心から感謝しました。アメリカに帰国してからも瞑想を続けました。そうして地道に瞑想をしていると体も健康になり、15年以上も飲み続けてきた胃腸薬とも縁が切れ、右半身のマヒも無くなりました。 コンピューターのバグを無くすように、人も溜め込んできた心を無くすべき 私が科学者だからでしょうか、心を捨てると体が健康になるメカニズムにとても興味があったのですが、そのメカニズムについても瞑想をしているうちにわかるようになりました。 ロボットにおける最も深刻なバグ(プログラム上の欠陥)にメモリーリーク(memory leak)というものがあります。これは、ロボットが次の作業を効率よく行うために以前の作業内容をメモリー(random access memory)から削除しなければならないのに、すべてを削除できずに以前の内容が溜まってしまうことから生じます。 その結果、ロボットの脳に情報がいっぱいになってしまい、作業がストップしてしまうのです。そうなるとロボットをリセットしなければいけないのですが、ブルックスのロボットを使用している会社には数千万円規模の損害が生じてしまいます。 このメモリーリークを直すためにブルックスをはじめ多くの企業がこれまでとてつもない額の費用をかけてきました。ところが私の率いるチームは研究の結果、このバグを完全に克服することができたのです。ですからブルックスのロボットは世界最高だと言われているのです。 そしてこの話はそのまま人間にも当てはまります。心を手放すことなくずっと溜め続けていると、そのうち脳は機能できなくなってしまうのです。人の脳には約1000億個の脳細胞があり、各細胞は幹から枝が伸びたような形をしています。 そして枝の部分は、他の細胞からシナプスを通じて情報を受け取ります。認知症の患者の脳を調べてみると、この脳細胞の枝がもつれた状態になっており、脳細胞をつなぐシナプスもみな途切れています。そのため脳にきちんとした命令が伝わらないのです。 ロボットにおける最も大きなバグがメモリーリークなら、人にとって最も大きなバグは“自分だけの心のデータを取り溜めていること”です。あたかもカメラのように私たち人間は生まれてから目、鼻、耳、口、体を通して自己中心的なデータを取り込みながら生きており、それが溜まるほどに体と心にバグ(不具合)が生じるのです。しかし、そのデータを削除すれば本来の自分に戻ることができ、神がプログラムした通り健康に自然な人生を生きることができるのです。 ロボットがその脳の神経ネットワークを通じて各部位に命令を伝えるのと同じように、人間の脳も同様の構造をしている。チェ・チュンボさん自身によるイラスト。データを削除せず溜め込み続けると結局、頭脳部分に過負荷がかかりロボットは停止してしまう。ブルックスオートメーション時代のチェ・チュンボさん。 “心を引き算する方法”は結果が正確に出る極めて科学的なメソッド “心を引き算する方法”は本当にすごいと思います。人類の歴史始まって以来、心を手放せる方法をこれほどまでに確実、明確に教えてくれたものはありませんから。私にとって一番うれしかったのは、この方法を通して本当の神と出会えたことです。 私はこの瞑想を通して、自分がこれまで心の中で神のイメージを思い描き、そのイメージを神だと思っていたことに気付きました。しかし神とは、自分の固定観念や慣習のすべてを手放した時に初めて出会うことのできる方だったのです。聖書にも「神を見た者は死ぬ」という言葉がありますが、これはすなわち「“自分”という存在をすべて手放した瞬間、その時初めて神の子に生まれ変われる」という意味で、そのことを悟った時はどれほど嬉しかったかわかりません。 私は今、とても幸せです。かつてのどんな喜びや楽しさも今の幸せとは比較になりません。現在は奉仕の人生を送る自信も生まれました。無理に自分の身を低くしようとしなくても、私たちはもともと一つなのですから、そのことを悟れば自然にすべての人を尊重しながら生きられるものなのですね。 会社を辞めてオフィスから出る時、本当に胸が高鳴りました。 私は一人の女性として、科学者としての人生を超えて、ようやく新しい世界へと漕ぎ出せるのだと。 何のためにどう生きるべきかがはっきりと見える爽快感とでもいうのでしょうか。 科学者たちはもちろん、よりたくさんの人々が、心を引き算する方法に取り組めるようサポートしながら生きていきたいです。 人々が平和になり明るくなる姿を見ながら、愛を分かち合いながら生きていこうと思っています。 体験談ホーム

引き算してこそ元気になる2020-10-07T17:18:59+09:00

良い音楽のために瞑想、そして心の引き算

2020-08-28T18:06:39+09:00

シン・ジヘさんは将来を嘱望される実力派のオーボエ奏者だ。 ドイツ留学後、韓国に帰国し様々なオーケストラや室内楽の演奏に参加するかたわら韓国芸術総合学校音楽院および慶北大学にて講師を務めている。 かつての指導教官であるイ・ユンギョン氏(現 慶熙大学教授)はシン・ジヘさんに対し「優れた音楽性を持っている。何より優れているのは常に平常心を維持し揺れ動くことがない点だ」と語る。ジヘさん自身、「演奏において終始安定した力を発揮できているのは心を空っぽにする時間があったからです」という。 絶え間ない競争、幸せだったことのなかった音楽人生 オーケストラの演奏において、オーボエは最初の音の基準点を作る役割を果たします。演奏に先立ってオーボエが「ラ」音を響かせ、他の楽器がそれに音を合わせるのです。 この最初の「ラ」音を聞くだけでそのオーボエ奏者の実力がわかります。オーボエの音がズレているとオーケストラ全体のバランスが狂うため、オーボエ奏者には大変なプレッシャーがかかります。 音楽大学への入試から始まり、学内での試験、そしてオーディション…。音楽家の人生といえば優雅なイメージがあるかもしれませんが、実際は絶えることのない競争の連続です。 私は幼少の頃から音楽と共に育ちました。母の専攻がピアノだったため、家の中ではピアノの音が常にあり、家の外ではオーケストラの演奏会や楽器別の独奏会など、母はたくさんのクラシックの演奏会に私を連れていきました。 このような環境の中で母は、娘も当然何らかの演奏をするべきだと考えたわけです。最初はピアノ、次にチェロを学び、中学の時にオーボエを始めました。甘美な音色というか、人の心を揺さぶるというか、そんな点が魅力でしたね。練習は大変でも舞台の上で演奏した時の達成感、拍手と共に注目されるのは素晴らしい気持ちでした。 しかしながら、本当に幸せだったことはあまりありませんでした。負けず嫌いで神経質な性格のせいでたくさんのストレスがありました。ですから胃もたれとは縁が切れた時がありませんでした。 オーボエは息を吹き込む吹奏楽器ですから呼吸がすべて楽器に伝わります。自分の内面のコンディションが悪ければ、他の楽器に比べ、それがすぐに反映されてしまうのです。ですから学生時代の指導教官からも「オーボエの演奏には揺らぐことのない平常心が大切だ」と言われていました。でもそれは容易なことではありませんでした。 平常心を保つために、ドイツ留学中も“心を引き算する瞑想”を継続 そんな私が変わるきっかけとなったのが大学2年の時に始めた「心を引き算する瞑想」でした。最初は一週間だけやってみるつもりだったのですが、心が空っぽになると本当に気持ちが楽になって素晴らしかったです。 心が空っぽになると多くのことが変わりました。不要なストレスや心配事も消え去って、それと共に演奏の実力も上がっていったのです。 そうして2007年にドイツ・マンハイム国立音楽大学に留学した時のことです。私はドイツ留学ですっかり怖気づいてしまったのです。 韓国では自信があったのに、自分が本当にちっぽけな存在に感じられ、不慣れな環境で言葉も通じず、いろいろと大変なことがあったのですが、そんな時に最も心のよりどころとなったのがフランス・パリにある瞑想センターでした。 今はドイツ・ベルリンにもセンターがありますが、私がマンハイム音楽大学にいた時は最も近いセンターがパリのセンターでした。エッフェル塔の近くにあるセンターなのですが、電車で片道3時間の距離でした。そこには韓国語を教えている大学教授や韓国からの駐在員、留学生などといった人々が多く、みな心を引き算するために集まった人々なので、雰囲気もとてもよかったです。 いつ訪れても美味しいものをごちそうしてくれたり、瞑想のサポートをしてくれたりと助けてもらいました。留学生活で大変なことも、心にたまった思いも、自分自身の枠もおかげで手放すことができ、不慣れな環境を乗り越える勇気も生まれ、前向きな気持ちで留学生活を送ることができました。 そうした中で、ある日、私は瞑想をしながら本当に心に大きなものを握りしめていることに気付きました。それは他でもないオーボエでした。私はオーボエのない自分を想像することさえできませんでした。 いつも自信をもって人と接することができるのもオーボエがあったからで、人々が私を認め、私に好意を寄せるのも私にオーボエがあるためでした。オーボエに対する凄まじいばかりの執着が私を縛り付けていたのです。 オーボエが私のすべてだから、人々から賞賛を受けるためにさらに上達せねばならず、失敗を恐れ、不安になり、失敗すれば悩み苦しみ…。好きだから、ではなく、不安だからオーボエを続けていたのです。オーボエから離れたら人々から無視されるのではないかという不安感から私は演奏をしていたのです。 音楽、名誉、愛…すべてを手放した時、心から音楽を楽しめた 心からオーボエを手放さなければと思いました。必死の思いで何日も何日も手放しました。そうして心から手放すことのできた時の解放感…。 まさしく自由そのものでした。音楽、名誉、愛…それらをすべて捨てて空っぽになった時、本当の自由が得られることを悟りました。捨てれば無くなってしまうように思えるけれど、この世の中はもっと大きなものを与えてくれたのです。 そうして一度、大きく自分を乗り越えた時から本当の意味で音楽を楽しめるようになりました。舞台の上で演奏をすることが180度変わりました。楽器を演奏するその瞬間自体がとても尊いものとなり、毎瞬間全力を尽くせるようになったのです。 いつもの楽譜なのに、今まで見えなかった部分まで見えるようになり、この音楽をどう表現すべきだろうかというアイデアまであふれ出るようになりました。 それまでシン・ジヘという小さな心の世界で演奏していたとすると、今はそこから抜け出したもっと広い視野から全体を見渡せるようになりました。以前は「私のすばらしい演奏を聴いてみない?」という感覚だったのが、今は人々の評価が気にならなくなったため集中力も上がり、水が流れるように演奏もスムーズになりました。 そんな私の姿を見た友人たちからも「リラックスしてるね」「顔つきから変わったね」とよく言われます。瞑想することで最も効果が出るのが集中力です。 頭の中で絶えず顔をのぞかせる雑念が消え去れば、自分の望むとおりに最大限の能力を発揮できるようになります。まさしく空っぽになってこそ、どんなものも入れることのできる容器になれる。心からそう実感しています。 音楽家や演奏家たちにとって心をコントロールすることは特に重要だと思います。 周囲を見ても、舞台に上がる緊張感から精神安定剤を手放せない人々は少なくありません。 音楽家や演奏家たちは音楽を通して自己を表現するわけですが、良い音楽のためにも必ず一度は自分自身を手放す時間、心を空っぽにする時間を持ってほしいと思います。 素晴らしい音楽は人々に安らぎと幸福を与えてくれます。私も無心の音楽でこの世と一つになりたいと思っています。 私の演奏を聴いて「幸せになった」と言って下さる方が増えてくれる日を夢見ながら…。 体験談ホーム

良い音楽のために瞑想、そして心の引き算2020-08-28T18:06:39+09:00

交通事故トラウマから抜け出す

2020-08-28T18:06:33+09:00

大学2年生の時、思いもよらない交通事故にあい、その後、日常生活が大変だったというJ.H (25)さん。、横断歩道を渡るたびに、冷や汗が出て、車の音を聞くだけでも驚くほど「交通事故外傷後ストレス」に苦しめられた。 その苦痛から抜け出すために最善を尽くしたが、どれも解決には至らないことに気づいたある日、彼女は瞑想に出会った。そのおかげで、 過去の記憶に駆られるゾンビのような人生から脱出したと今は明るく笑う、清々しい女子大生の瞑想の物語だ。 J.H (25) /大学生 大学2年生の時でした。 授業に行くために横断歩道に立っていると、車が一台見えました。 車が止まっていることを確認した上で横断歩道を渡ったのに急にその車が私にぶつかってきたのです。その瞬間、慌てた運転手はブレーキの代わりにアクセルを踏んでしまったため私はボンネットの上に乗ってしまい、それから横に落ちてしまいました。 少しでも遅ければバスにひかれていたかもしれない危険な状況でした。専攻していた授業の本は粉々になり、全身の衝撃は言葉で言い表すことができませんでした。さらに、「私は忙しいから保険会社に連絡だけしておけ!」という加害者の態度にも腹が立ちました。 その後、十日間も病院に入院しているのになぜか、恐怖感が続きました。これはなぜなのか説明できません。 特に夜一人でいると不安で恐ろしい気持ちになりました。 世の中にたった一人残されたようでした。 私は車がぶつかってくるとは思わなかったのです。止まっていたし、横断歩道だからと信じて渡っていたからこそ、大きなショックを受けました。 それに相手が「傍若無人」な態度だったことにも、さらに不安を感じました。 その時から車に対するノイローゼになりました。 最初は一人で道を渡ろうと何度か試みたんですが、とても緊張してしまい、結局、諦めて戻ったことも多いです。一週間が過ぎてからようやく横断歩道を渡るようになりましたが、 何度か立ち止まって、横断歩道の前に人がたくさん集まっている時に、一緒についていくようにしました。 それでも不安でした。 いつ車が方向を変えて私にぶつかってくるかもしれないと思いながら車を注視していました。 それに車の音にも敏感になってしまい、車のエンジンの音が聞こえるだけでも、遠く離れて歩いている時にキーッという音がするだけでも不安になりました 。 その時思いました。 世の中に車のないところなんてないんだなと。 性格も鋭敏に変わりました。 冗談の言葉にも腹が立ちました。 それを言った人が悪いわけではありません。 私が変わってしまい、そのコントロールができなくなってしまったのです。結局学期末に休学をすることになりました。 平凡だった日常生活が困難になり、私の人生設計も狂ってしまったため、加害者に対する怒りが増していきました。 その交通事故を本当に恨みました。 事故が起きなかったら...本当に沼の底ような気持ちです。意識していなくても、とっさに震えてしまうのです。 事故が起きる前の私に戻りたくても、何もかもそれ以前には戻ることができない、そのことが私を苦しめました。 家族、友達の慰めさえも私には何の力にもなりませんでした。 さらには両親の「もう忘れて頑張れ」という言葉にもすごく腹が立ちました。子供の苦痛に胸を痛めてくれていた言葉なのに、両親までも恨むほど、私の心は疲弊していきました。 校内での事故という理由で法的に保護もまともに受けられず、世の中に対する恨みも大きくなっていきました。 結局、自分のことは自分で守らなければならないのね...と思うようになりました。うつ病がひどくならないように克服しようと前向きに考え、友達にも会って、一生懸命、1日3時間ずつ運動をして、1年以上続けたのにもかかわらず、変化がないのでだんだん疲れていきました。 その時は前が見えなかったです。 脱出口もないし、答えもないのに、ずっと必死で走っているような感覚でした。 そうした渦中、高校1年生の時にした瞑想が思い出して、家の近くの瞑想スタジオに訪問しました。瞑想は記憶された思い(トラウマなど)を捨てることです。最初の頃は事故の記憶を思い出してしまい本当に大変でした。あの時の自分の姿が嫌で、状況を思い出した瞬間、運転者の顔、失ってしまった私の人生、絶望感と怒りが入り混じって、苦しい思いになりました。それでも、その状況を思い浮かべないと捨てられないため、少しずつ思い出すようにしたら、予想より早くなくなりました。 そうしながら少しずつ苦しさから脱出していきました。細胞の一つ一つにも思いが残っていると感じました。なぜなら、捨てていく過程で、当時と同じように痛くなったからです。一場面一場面を思い出し、苦痛も一緒に捨てていくような気持ちでした。常に体中が重く感じていたのですが、一気に軽くなり、体力も次第に良くなりました。 交通事故によって生じたトラウマだけでなく、これまで生きてきたあらゆる心まで振り返り捨てることができました。 振り返ってみると、ある出来事、その記憶が人生の一瞬たりとも忘れることがなく、引き続き影響するということが本当に怖かったです。 心の写真を撮って、その中に生きていくのは本当に恐ろしいです。一生その出来事の奴隷のように振り回されて生きることになります。本当に私というのは過去の写真の集合体でした。 それがとても無惨だったので本当に熱心に捨てました。 そうするうちに、希望が出来ました。 私を苦しめてきたその気持ちから完全に抜け出せるという確信が持てるからです。 いつのまにか、イライラしなくなったのが不思議です。事故を思い浮かべても、たまに事故の話が出ても、平気になりました。 特に車の音がした時には、私の中の変化を大いに感じました。 前はキュンという音を耳にしただけでも逃げていました。 でもある瞬間からは普通に道を歩いているんです。 そして、世の中のすべての目に入るようになりました。 街、風景、友達の顔...日常が楽になったのです。 私は、目つきが変わり、性格も変わり、何より私を苦しめた人たちを理解できるようになったのが感謝です。おかげで、私の人生は変わり、本当に意味のある人生とは何かということがわかりました。いつの日からか、許すということを自然にできるようになりました。さらにありがたいこともありました。 世間に対する怒り、恨みなど否定的な感情が消えてしまったのです。心がとても自由になりました。 20代前半はゾンビのような人生でしたが、今からでもありのままの世の中を感じながら人間らしく暮らせるようになったということが、本当にありがたく思います。 心を空っぽにしてこそ、世の中が見えて、苦しめている自分の心から脱することができるということを多くの人々に知ってほしいです。 体験談ホーム [...]

交通事故トラウマから抜け出す2020-08-28T18:06:33+09:00

パニック障害で苦しんでいるすべての方々へ

2020-08-28T18:06:26+09:00

パニック障害は、言葉で表現するには本当に難しい病気です。 突然めまいになったり、すべての熱が頭に上がったり、すぐ倒れそうな状況になったり、極度の恐怖心を感じます。 Y. Yさん 会計事務所運営 そんな状態が予告なしでやってきます。 サッカー場で感声を聞く時、映画館で映画を見る時、車に乗っている時、急に止まる時、トンネルに入った時、「あぁ、この車の中にいると死んでします。 降りて逃げていきたい」という考えが自然に浮かび、自分の体を自分ではどうすることもできなくなるのです。 実際には倒れることはなく、死ぬこともないのに、あっという間に私の頭の中では最悪のシナリオが展開されてしまうのです。 家長としての責任感とプレッシャーがパニック障害になり このような症状を感じ始めたのは十年ぐらい前のことです。 頭が痛くめまいがひどかったので病院に行きました。 日頃、お酒をたくさん飲んでいたこともあり、単純に体力が落ちたせいかなと軽く思っていました。 パニック障害というのが珍しい頃だったため、風邪のせいだ、酒のせいだなどの誤診も多かったのです。ところがずっと症状が改善されなかったため精密検査を受けたところパニック障害ということが判明しました。 その後、薬を飲んで治療を始めました。 しかし、症状がよくなることはなく発作の瞬間を免れて沈めることしかできなかったのです。 4~5か月間ずっと薬を飲み続けると眠くなることが多く、ぼーっとしている状態が続いて会社の業務も半分しかできず、社会生活も難しくなりました。 そんな中、家族の勧めで瞑想を始めるようになりました。 瞑想は、自分をかえり見ることから始まりました。 家長として私はお金を稼がなければならない、家族の扶養をしなければならないという責任を常に感じており、そのプレッシャーに耐えようとしてお酒もたくさん飲みました。 それがパニック障害を生むことにつながったのです。 心を捨てればパニック障害のコントロールが可能になる 特定の状況になると現われるすべての感情と考えそのものがストレスでした。 生きてくる内に積もったすべて感情やストレスを続けて捨てました。パニック障害に対する恐怖と不安、苦しかった経験、イライラも全部捨てました。 そして、そんな心自体がそもそもなかったものだということを100パーセント確信した瞬間、今までのどんな治療よりももっと上手くパニック状態をコントロールできるようになりました。 心を捨てれば捨てるほど症状が良くなり、薬もやめて、好きだったお酒もほとんど飲まないようになりました。 そして、運営している会計事務所において人に接する時、いつも敵対心を持ち、小言が多かった方でしたが、そんなこともなくなりました。 また、いつもにらみつけるような私の印象も、過敏な性格もかなり穏やかになりました。 今は、パニック障害の気配があらわれたら 、予めそのようなストレスと感情を無くして、予防できるようになりました。 自分の中で縛られていた心から抜け出ることができ、その残酷なパニック障害を乗り越えられたのが本当に夢のようで、とても感謝しています。 最近は中年の男性にパニック障害が多いようです。 同じ苦しみを経験した一人の人間として、それが心の病であることを知る一人の人間として願います。 パニック障害で苦しんでいるすべての方々が、一日も早くその原因が分かり、その苦痛から抜け出すことができるようにと。 体験談ホーム

パニック障害で苦しんでいるすべての方々へ2020-08-28T18:06:26+09:00