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[瞑想体験談]人生を悔いなく生きる秘訣、それは心の中にすでにある

2022-05-02T11:15:55+09:00

K・Jさん/大学教授 高校を卒業して理系で国内トップの大学に進学してから私の悩みは始まった。毎日決まりきったスケジュールを繰り返すそれまでの生活パターンとは違い、大学での自由な生活は確かに良かったが、私は次第に勉強への興味を失くしていった。どうせ死ぬのに何のためにそれほど必死に競争しながら生きていかなければならないのか――。そんな疑問が頭から離れなかった。 不安、焦り、後悔…さまよう心を落ち着けたかった 悩みはどんどん深くなり、大学生活では昼過ぎに起きてはゲームに没頭する日々を送るようになった。ほとんどの授業に出席日数の半分も顔を出さず、そんな暮らしを送りながらも試験期間になると不安と焦りにさいなまれた。そうして学期の課程を終えると今度は激しい後悔の念に苦しんだ。 「明日からやり直そう。そうすればすぐに挽回できるさ」 自らをそうなぐさめ勇気づけても、新学期が始まると生活は以前の怠惰な生活のまま。そうして後悔ばかりを積み重ねてゆくうちにしだいに私は自信を失っていった。 写真:https://unsplash.com しまいには「自分は勉強に向いていないのでは?」と考え始めるくらい投げやりになった。大学に入って3年間、私はただいたずらに時間を送った。父が私に「心を引き算する瞑想」を勧めたのは、成績は下がる一方のままとうとう卒業まで危うくなった大学3年の終わりだった。さすがに私も「今の悪循環を断ち切ろう」と決意した。今の流れを変えなければ今後も流されるまま生きていくであろうことは火を見るよりも明らかだった。 私は思い切って大学を休学して瞑想に取り組むことにした。そうして「心を引き算する瞑想」で心を捨てた結果、自分本来の心を自然に発見することができた。これまでわからなかった哲学的な疑問の数々も一つひとつ解け、まるでこの世のすべてを手に入れたような嬉しさを味わった。 サボりグセを克服、短期間で博士課程を修了 人生における根本的な解答を得たためだろうか、あれほど深かった悩みや不安も自然に消えていた。瞑想を終えて大学に復帰して最初に感じたことは、「この世はじつに暮らしやすい場所だなぁ!」ということだった。ただ今いる所でベストを尽くせば結果は寸分の狂いもなく出るという当たり前の真実。それを実際に行動に移して生きていけるようになったという自信に私は満ちあふれていた。 写真:https://unsplash.com 疲れ果てていた心と体を瞑想で癒し、洗い清めた私はまるで翼が生えたかのようだった。 久しぶりに味わう勉強の楽しさ。 心にゆとりが生まれ、アルバイトもできるようになった。それでも以前よりも成績ははるかに向上し、かつては想像もできなかった大学院進学まで実現できた。日常生活における変化も大きかった。 やらなければならないことがあるととにかく先延ばしにして後悔するというパターンを繰り返してきた私が、気が付くと自然にやるべきことに取り組むようになっていた。サボりグセはどこかへ消え去ってしまったのだ。通常ならば4,5年はかかる博士課程を3年で修了することができたのもその結果だと思う。 写真:https://unsplash.com アメリカ・スタンフォード大学に研究員として派遣される道も開けた。以前の私だったら「うまくやっていけるだろうか」という不安と焦りばかりを抱え込んだだろうが、今の私は違う。むしろ新たな環境に期待を抱き、胸を躍らせている。世界のどこへ行っても悔いなく楽しみながら生きられる自信が今の私にはあるのだ。 体験談ホーム

[瞑想体験談]人生を悔いなく生きる秘訣、それは心の中にすでにある2022-05-02T11:15:55+09:00

[瞑想体験談]不安感ゼロ! もう未来に悩まない

2022-05-02T11:16:14+09:00

I・Jさん/大学生 壮大な将来の夢とは裏腹に常につきまとう不安と焦り 数か国語を操り、専門知識を持って世界最高の多国籍企業でCEOとして最善の決断を下し、稼いだお金で貧しい人々を助ける―。 これは私にとって選択でなく一種の使命だった。 常に一番を目指す気持ちが強かった私は大学入学と同時に目標に向かって英語と専攻分野の勉強に励んだ。 写真:https://unsplash.com TOEICで高得点を取り、大学でも好成績を収めて海外への交換留学生として派遣されるなど、いわゆる“就活用のハイスペックな自分”を作り上げていった。私は自分でも人生の進路を着実に歩んでいると思っていた。しかし一方で、いつも不安で焦る自分がいた。 目標は遠ざかり、不安は増大…苦しかった日々 それは理想と現実とのギャップから生まれる不安と焦りだった。その心は雪だるまのように大きくなり、心理的な苦痛は限界に近づいていった。そうして私は気が付くと、1時間の授業を受けるだけでヘトヘトの状態になっていた。 講義の内容をすべて理解しなければという強迫観念、他の学生と自分を比べて感じるコンプレックス、授業での発表の時は他人の視線が気になるようになり、体は常に緊張でガチガチだった。授業が終わる頃にはすべてのエネルギーを使い果たし、無気力状態におちいった。 写真:https://unsplash.com 達成しようとしていたゴールはどんどん遠ざかっていった。不安と焦りをどうにかしようと必死であがいてみたものの、そうした努力はかえってより大きな苦痛となって返ってくるだけだった。 こんな思いを抱えてこれからも生きていかねばならないのかと思うと心底ぞっとした。そして私は本格的な解決策を模索し始めたのだった。 写真:https://unsplash.com 大学内にある相談窓口を訪れ、心理カウンセリングを受けた半年間は一時的に心が楽になったりもした。しかし、長期的に見て変化したことは無かった。頭ではどうするべきなのか分かっても、自分を突き動かす心の部分が変わることはなかったためだ。 そんな中、解決策をもたらしてくれたのは意外にも父だった。本を通じて「心を引き算する瞑想」を知った父が、瞑想センターに通うことを私に勧めてくれたのだ。私は取り組むべき課題の山をひとまず後回しにして「心を引き算する瞑想」に取り組むことにしたのだった。 写真:https://unsplash.com 本当に心を捨てることは可能なのか? 何度も念を押して瞑想スタート 「心を引き算する瞑想」は誰にとっても単純明快な方法なので私もやってみたいと思った。それでも、自分を縛り付けている苦痛から自由になれる方法があるとは簡単には信じられず、「本当に心を捨てて無くすことなどできるのか」とセンターのインストラクターには何度も質問したほどだった。 もちろん心を捨てるということは決して容易なことではなかった。完璧主義者で細かい性格の私は、これまでの人生をふり返りながらそれを手放すことに人よりも多くの日数がかかった。また、瞑想をしてより良い状態になった自分を想像するあまり、自分の瞑想が上手くできているのかどうかが常に気になってしまい、そのため瞑想がとても骨の折れる作業に感じられたりもした。そうして瞑想しながらも私は幾度か新鮮な衝撃を覚えた。 写真:https://unsplash.com 瞑想を始めて2週間ほどたった頃のことだ。瞑想をしながら私は幼少期のある出来事を思い出した。それは、自分をいじめた相手に対し、将来、成功した姿を見せつけることで復讐しようと決意した時のことだった。人を助けるために成功したいと思うことで私はその復讐心を自分でも知らないうちに正当化していたことがはっきりと露わになったのだった。 荒唐無稽な目標に向かってあがき続けていた自分。不安と焦りの正体 結局のところ私は他人に成功する姿を見せつけたかっただけだった。そして世の中に認めてもらいたかったのだ。だから成功することに執着するしかなくなっていたのである。 「いつも人のために生きようと思っていた自分はこんなにも自己中心的だったのか…」すべては自分の完璧主義のため、自分をきらびやかに飾り立てるための口実に過ぎなったことに気付き、私は懺悔の涙を流した。 それまで自分を苦しめていた不安と焦り、執着の根本原因もはっきりとわかった。私はいつも自分だけの物差しで“自分が可能な目標”ではなく、“自分が望む目標”を立ててはそれにこだわり続けていたのである。そうして効率にこだわり、目先の小さな結果にこだわりながら狭い心の中であがき続けていたのだった。 いま置かれている条件のもとで自分ができる最善を尽くせばいいだけなのにもかかわらず…。 写真:https://unsplash.com 自分を支配してきた多くの無意識的な心の数々が捨てられてゆくと、少しずつ顔色も良くなり始めた。今は何をするにも自然に体が動いている自分の姿に気付く。一日一日があまりにも早く過ぎ去ることが惜しい。 それほどまでにどんなことにも無心で取り組めるようになると、色々なことに楽しさを覚えるようになった。嫌いだった専攻分野の勉強にも集中できるようになったことも思わぬ副産物だった。 写真:https://unsplash.com 授業の時間にも自分が理解できる範囲で満足して切り上げることができるようになったため精神的に楽になり、勉強の能率はむしろ上昇した。 学内で発表する時も緊張することが大幅に減り、周囲の視線も気にならなくなった。あるがままの自分を受け入れられるようになったことに私自身が驚いている。 来てもいない未来を心配していたかつての自分の姿を思い返すと本当にバカだったなと思う。今の自分の心が、今の自分の行動が、他でもない自分自身なのだ。 自分が思い描く未来の自分。それはどんな姿であろうと自分ではない。だから、その虚像の中で不安になったり、焦ったり、心配したりする必要もまたないのだ。 体験談ホーム

[瞑想体験談]不安感ゼロ! もう未来に悩まない2022-05-02T11:16:14+09:00

[瞑想体験談]放浪の旅が終わると、願っていた人生が始まる

2022-05-02T11:16:40+09:00

K・Kさん/医師 生老病死。その四つが交錯する現場で医師として 生まれること、老いること、病気になること、そして死ぬこと。病院には生老病死という、人生におけるすべてのストーリーが存在します。そこには人生の縮図があると言ってもいいでしょう。 研修医のころから私はじつに多くの人の死を目の当たりにしてきました。 写真:https://unsplash.com 「〇月〇日〇時〇分、ご臨終です」 私も以前は、医師としてありとあらゆる知識と能力を総動員して懸命の処置を施しても、努力の甲斐なく一人の命が消えるときには大きな虚しさを覚えたものです。 そうした経験のせいか、私は命ある限り、少しでも世の中の役に立てる人間になりたいと思い続けてきたように思います。 写真:https://unsplash.com 私が担当する科には風邪を始め、糖尿病や高血圧、心臓病、甲状腺疾患など様々な病気を抱えた方々が訪れます。 私が腐心するのは、患者の方のお話に耳を傾け、治療方針を考えながらもまずは患者の方の内面を解きほぐすことです。 「病気が治らなかったらどうしよう」「これからどう生活していけばいいのか」 写真:https://unsplash.com そんな不安や恐れをまずは手放せるよう十分に話をし「こうすれば治る病気ですよ」と説明するだけでも患者の方の表情は明るくなり、治療もずっとうまくいくようになるのです。 どのような心を持つかによって病状にも変化が起こる 私が心の力を知り、まず何よりも患者の方々の心のケアを最優先に考えるようになったのは「心を引き算する瞑想」と出会ったことがきっかけでした。 写真:https://unsplash.com 心を手放しただけでケガや病気が改善した人々を本当に多く目にしました。 不安症やうつ病、パニック障害などの精神的な疾患だけでなく、糖尿病、腎臓病、関節炎、乳がん、白血病、胃がんなどの身体的な疾患まで多岐にわたるものでした。 当初は「どうしてこんなことが起こるのか」と本当に不思議でした。 東洋医学では「人間は小さな宇宙であり、体と心は一つである」という全体的な観点から病気を診断しますが、西洋医学では「この病気は〇〇というウィルスが原因だからウィルスを除去しなければならない」といった考え方が一般的です。 私も当初、心を手放すことで病気が治るメカニズムを説明することは困難でした。 しかしながらストレスや怒りといった感情がホルモンや血圧に影響を与えて病気を引き起こすこと、そうした心を手放すことで病状が好転することは明らかな事実でした。 現在、心を引き算する瞑想を実践している医師や博士課程の研究生が集まり、心と病気との関係をもう少し科学的に証明できるよう研究中です。 私自身、医師として身体的な側面からだけでなく、心という要素まで考慮に入れて病気を全体的に捉えられれるようになったことは実に幸福なことだと感じています。 写真:https://unsplash.com 医者でなければ幸せになれないのか? 迷いの中で出会った“心の引き算” 心を引き算する瞑想と出会ったのは医大生だった時です。 医大生と言えば医師の道へと進む輝かしいイメージがあるかもしれませんが、私には様々な迷いや葛藤がありました。 軍隊的とも呼べる厳しい上下関係、息つく暇もない授業の毎日、高圧的な実習先の雰囲気、そしてお金や名誉ばかりを追い求めているかのような人々の姿…。 本当にこれが私の望む人生なのか。 医者にならなければ幸せにはなれないのか。 私がここにいるのは世間体や両親の期待に応えるためなのだろうか。 そんな激しい葛藤の中、私は心を引き算する瞑想と出会ったのでした。 写真:https://unsplash.com 何か人生の答えを見つけられそうな感じがしたのです。 自分が本当の人生を生きているのではなく、自分だけの世界を強固に作り上げながらその中に閉じこもっている事実に瞑想を通して気付いたことは本当に衝撃でした。 一日も早くこの世界から抜け出したい。 そう思いました。 だから必死で心を手放す瞑想に取り組みました。 するとある時わかったのです。 自分が心の世界から抜け出たこと、この世の中はもともと一つだったこと、そしてこの一つの世界こそ本当の世界であることを。 そうして私の迷いと葛藤、心の放浪の旅は終わりを迎えたのでした。 中学生のころ、漠然と「誰かを助けられる人になりたい」と思って選んだ医師という職業。私はその道をただ歩み、そのまま自分の夢を実現していえば良かったのです。 医師にならなければ幸せになれないのだろうかと思い悩みましたが、私が苦労して身に着けた医学の知識で患者の方を助けることができたとき、私はすでにこれ以上ないほど幸せだったのです。 その幸福に対する感謝を覆い隠していた様々な迷いや葛藤は、自分が作り上げた心の世界の中に起こった妄想でしかありませんでした。 過去ではない今ここで、他人の基準から見た“幸せな人生”ではなく、私自身が心から望んだ人生をただ生きればいいということに気付いたのです。 医療ボランティアを通じて分かち合う人生の喜び 今は毎朝、私を待つ患者の方々のいる病院へと向かえること自体に感謝です。 私が夢見ていた理想の医師とは、患者の方がなんでも気楽に相談できる“その人だけの主治医”であれる医師でした。 それは長らく現実には実現困難な理想像でしかありませんでしたが、心を引き算する瞑想はそうした理想が実現可能だという希望を与えてくれました。 私は今、心を引き算する瞑想を実践する医療関係者たちで作った医療ボランティアグループに参加しています。 無償の医療活動というと、能力や経済的な面で十分な余裕がなければ不可能だと以前は思っていましたが、実際はそうではありませんでした。 自分が手にしているものが小さなものであったとしても、それを他者と分かち合おうという心があれば、分かち合うことは可能なのです。 「何の見返りも求めずに奉仕し分け与えることは、神を悟った者には当たり前のこと」 ボランティアグループのある先輩の言葉です。 私もそんな心で医師の道を歩んでいきたいと思います。 体験談ホーム

[瞑想体験談]放浪の旅が終わると、願っていた人生が始まる2022-05-02T11:16:40+09:00

[瞑想体験談]心を捨てる。思い込みと習慣を変える。 驚くべき「引き算の瞑想」の効果

2022-06-20T17:49:46+09:00

心を捨てる。思い込みと習慣を変える。 驚くべき「引き算の瞑想」の効果 P・Jさん/歯科医師 写真:https://unsplash.com 40歳になった時、私の心と体は満身創痍の状態だった。 特に病気を抱えていたわけではないが、常に疲労感とあせりを抱え、無気力のまま日々をどうにかやり過ごしているといった感じだった。 朝になると「また一日が始まるのか…」。ため息と共に過ごす一日一日が本当に苦痛だった。作り笑顔をし、親切な態度をよそおう一方で、私の心はどんどんすり減っていることに気付かなかった。変化の光が訪れたのは、崖っぷちにまで追い込まれていたその頃だった。 写真:https://unsplash.com 築き上げたものを守ろうとする欲望と執着 「疲れているみたいね」 帰宅すると毎日のように妻から言われた言葉だ。 病院では緊張の連続。それは、これまで築き上げてきたものを守ろうとする必死さからだった。 人から褒められることには慣れていたが、批判されることには到底耐えられない。私はそんな状態だった。特に歯科治療は人の体を扱うものである分、いつも断崖絶壁に立たされているような気分だった。患者が治療に満足してくれるか、治療は上手くいったかに気をもみ、心配が尽きなかった。どのような治療も完璧にしなければならないという考えは、ある面では責任感の表れとも言えるが、その根っこには誰からも嫌われたくないという思いが隠されていた。 写真:https://unsplash.com 私は爆発寸前の時限爆弾だった。退勤時刻には疲れ果てて、酒で気を紛らわせる時以外は帰宅すると寝室に直行した。 日曜夕方になると急に頭が痛くなる“月曜病”にも悩まされた。病院で一日じゅう患者と話をしていると家では会話自体がめんどうになった。子供たちに見せる私の姿は、イライラしているか腹を立てているか、そうでなければTVを見ているか寝ているか…それがすべてだった。 たまに出かける外食や旅行も家族に対する義務的なものに過ぎなかった。そうするうちに私は家族の中で疎外感を強く覚えるようになっていった。私がいるとみなどこかぎこちなく、緊張しているように感じられ、私が自室にいる時にはリビングから明るい笑い声が聞こえたり、寝ている間に妻と子供たちだけで外食に出かけていたり…。妻や子供たちとの壁はどんどん分厚いものになっていった。 写真:https://unsplash.com 家族を“管理すべき所有物”としか考えていなかった自分 私との対話を試みてきた妻も、怒ってばかりの私の姿に愛想を尽かしたようだった。やがて私は自殺衝動に駆られるようになった。すでに心の状態が限界に来ているサインだった。 ある冬の日、家族と共に海へ出かけると、海の中へ身投げしたい強い思いに駆られた。高い場所へ上ると飛び降りたい気持ちになった。「私が死んだら家族はどうなるだろうか。両親はショックを受けるだろうな」などと思い悩んだあの頃は本当につらい時期だった。疎外感が頂点に達した頃、私は「心を引き算する瞑想」と出会った。 写真:https://unsplash.com 半信半疑ではあったが、夏の休暇を利用して瞑想に取り組んだ。そうすると一週間、夜に本当に心地よく熟睡できた。あれほどまでに安らかな気持ちで眠ったのはいつ以来だろうか。心を引き算する瞑想に取り組んでまず最初に気付いたこと。それは、「自分はなんて自己中心的なんだろう」ということだった。 職場でも家庭でも自分だけのために生きてきた。誰かのために生きたことなど一度もなかったことに気付いた時には、穴があったら入りたい心境になった。お金、名誉、家族…あれほどつらい日々を送ることになったのは、自分が手にしたものを最後まで手放すまいとする執着と欲望のせいだった。 写真:https://unsplash.com 経済的に苦しい家庭に育った私にとって家は休む場所として、職場は単にお金を稼ぐ場所としてしか考えていなかったことにも気が付いた。家庭は“家族と共に過ごす場所”ではなく、“自分が管理すべき所有物”としか思っていなかった。職場における完璧主義の習慣も自己満足と自尊心を満たすための行為だった。 思い込みと習慣を手放せたことが最も大きな変化 今この瞬間に最善を尽くし、結果を気にすることがなくなった。病院を訪れる人々にも感謝の気持ちを持てるようになった。より患者のことを大切に思えるようになり、自分が治療してやるんだという態度ではなく、治療に必要な情報を共有しケアするという態度で接するほどに親密な関係を築けるようになった。互いを思いやり支えあう一つの存在だとわかると、ストレスを感じたり緊張したりする理由がなくなった。 写真:https://unsplash.com 以前は結果にいつも不満ばかりが残ったが、今はどんな状況になってもまず感謝の心を持てるようになった。そうなると、以前ではストレスになるようなことが、自分を成長させてくれる贈り物になった。 朝起きると私はイスに腰掛け、こう祈る。 「今日も自分のための一日ではなく、他の人々のための道具となれるような一日を送らせてください」。 妻も「心を引き算する瞑想」をするようになり、夫婦関係も兄妹のような気楽なものに変わった。 以前の私は子供を、親の意のままにしてもいい存在としか考えていなかったが、親に縛られることを心底嫌っていた自分自身がまったく同じことをわが子にしていることに気付き、瞑想を通してそうした自分を徹底的に捨て去った。そうして自分の思い込みや習慣を手放せるようになったことが最も大きな変化だ。 写真:https://unsplash.com また、以前は自分の乏しい知識と経験から人の行動に対して一方的な見方をしたり、そうして人を傷つけたりすることがあったが、瞑想を通して自分や周囲をふり返ってみると、私がいる時に家族が静かだったのも、私を置いて外食に出かけたことも、すべては私に休める時間を与えようとの家族の配慮であり愛であったことに気が付いた。すべては私一人、自己中心的な立場から疎外感を感じ、傷つき、苦しんでいただけだったのである。 自らの思い込みを手放してそこから自由でいられたら、苦しむ理由も相手を傷つける必要もないのだ。 写真:https://unsplash.com 体験談ホーム

[瞑想体験談]心を捨てる。思い込みと習慣を変える。 驚くべき「引き算の瞑想」の効果2022-06-20T17:49:46+09:00

[瞑想体験談]心が幸福なら、笑顔は自然にこぼれる

2022-05-02T11:16:57+09:00

I・Oさん/教員 「先生はなぜ作り笑いをしてるの?」 廊下で他の先生と挨拶をする私を見て教え子が言った言葉だ。 「挨拶は明るくするもんでしょ!」と答えはしたが、頭を殴られたような衝撃に、内面の動揺は隠せなかった。 子供たちの前で恥ずかしかった。 そして何事もなかったかのようにその場をやりすごそうとした自分が何ともかっこ悪く、情けなかった。 小学校の教師になって10年。子供たちのために私は必死でがんばってきたつもりだったが、そんな私に返ってきたのは、「先生の笑顔はニセモノだ」という言葉だった。 農村に暮らす小学5年の純粋な子供の目に私の仮面は見破られ、私の心は打ち砕かれた。 写真:https://unsplash.com 子供たちを変えようとする努力と現実 私は本当に“良い先生”になりたかった。 その夢を実現するために私はいつも忙しく、あわただしかった。夏休みや冬休みには、研修やセミナーの予定で私のスケジュール手帳はいっぱいになった。 専門家やその道のプロのもとを訪ね歩き、絵や音楽、キルト織物、裁縫、染物を学んだりもした。 子供たちの、瞬く間に消え去ってしまうイキイキとした声や笑顔を記録しようとビデオ撮影のセミナーにも通った。 学んだことをそのまま授業に活かそうとしたのである。みんなで音楽を演奏し、美術作品を作り、染物で巾着を作り…。そんな活動の数々を文集にまとめ、写真と映像はDVDやCDにして子供たちに配布したりした。 そんな努力をするほど、私の中には様々な課題が繰り返し提示されてくるのだった。 「知識を机の上でだけでなく、人生で活かせるようにするにはどうすればいいか?」 「自ら行動する自発性をはぐくむ方法はないだろうか?」 「『嫌だ』『できない』といったネガティブな思いをポジティブな気持ちに変えることはできないだろうか?」 一筋縄にはいかない現実に直面しながら、何が問題なのか、どう解決するべきかといった疑問に苦しんだ。 私が「心を引き算する瞑想法」に出会ったのはそんな、 答えを求めてさまよい続け途方にくれていた頃だった。 写真:https://unsplash.com 心から笑うってどういうこと? 私はなぜ仮面をかぶって行動するようになったのだろう? 私はいつも自分に対して「自分は善良で、前向きで、仕事に全力を尽くす情熱的な人間だ」という虚像を持っていた。それは現実の自分ではない理想の自分でしかないのだが、私は理想を現実だと錯覚していたのである。 現実の自分を受け入れることができず、自分が作り上げた理想の自分だけを周囲に見せようとばかりして疲れ果てるしかなかったのだ。 当時の私の口癖は「もう死にそう」だった。 「忙しくて死にそう」「疲れて死にそう」「眠くて死にそう」…そう口にしながらため息をつく私に母は忠告を繰り返したが、口癖が収まることはなかった。 そうして心は死んでいった。生きることが本当に苦しくて自殺も考えるほどだった。 自ら作り上げた“自分”という虚像を守るための壮絶な自己犠牲。 自分の心を誰にも開くことができず、積み上げた心の壁。 変化や発展という名目の下でひたすら前にばかり進もうとする自分。 自分一人の完璧な城に閉じこもり、四方を壁でおおって誰とも心を通わせることができなかった自分。 もうすべてを投げ出したかった。 写真:https://unsplash.com そんな時に出会ったのが、職務研修で取り組んだ「心を引き算する瞑想」だった。 瞑想を通して私は、コンプレックスを覆い隠すために分厚いヨロイを着込んできた自分自身と向き合うことができた。 生きてきた人生は、とりもなおさず自分一人の心の世界だった。 その世界を通して考え、判断し、行動してきた私はいつも自分だけが正しく、そのため他者を受け入れることができず、人を押しのけるしかなかった。 その一方で、そうする自分自身が嫌いだった。 ふり返ってみると、私の心には“憎しみ”が多かった。 幼少の頃から男の子のようにヤンチャだった私には、赤いワンピースも黄色い靴も似合わないファッションだった。 かつて一度、リボンの付いた花柄の赤いワンピースを母がプレゼントしてくれたことがあった。 着てみると我ながらじつに似合わなかった。 すぐさま妹にあげたワンピース。妹にはピッタリだった。 そうして一つひとつ心に刻み付けてきた感情の数々…。 体が大きくなるにつれて私の心の中の“嫌いな自分”も大きくなっていった。それを隠すために目の前のことに懸命に努力してきたが、“嫌いな自分”から自由になることはできなかった。 自分の心の中に“嫌いな自分”という虚像を抱えている限り、そこから自由にはなれないということを、そしてそんな自分を手放した時にそうした心がなくなることを瞑想を通して私は悟ったのだった。 写真:https://unsplash.com 嫌いな自分を投げ捨てる 夢見ていた“良い先生”についても同様だった。私は良い先生になりたかったが、良い先生には決してなりようがなかった。 私の心の中に憎しみが一つでもあったら、それは子供たちを憎むことになり、心の中に苛立ちの種があれば、それは子供たちにばら撒かれることになる。そんなことに無知だった私は、外に出しさえしなければやり過ごせるものと思っていた。ひたすら耐えれば何とかなると考えていたのだ。 また「私は一生懸命にやっている」という考えは、「他の教員たちはそうではない」という思いを持つことにつながった。そうして他者に対して不信の壁を作りながら、私はハリネズミのように誰も寄せつけようとしなかった。だから寂しかった。一人だった。 それでも、それが自分の道だと言い聞かせながら私は一人だけの心の世界を強固に作り上げていったのだった。 けれども今ならわかる。心がすなわち実際であるということを。どのような心を持つかによって心はそうなるし、結果もそうなるということを。 写真:https://unsplash.com 畑に大豆をまけば大豆ができ、アズキをまけばアズキができるように、ネガティブな心を持てばネガティブな結果が生まれ、ポジティブな心を持てばポジティブな結果が生まれるのは当然なのに、瞑想と出会う以前の私はあまりにネガティブだった。 疲れた心、ダメだと思う心、比べる心、後悔する心、憎む心、不信の心、そんな否定的な心では自分ひとりが生きていくことさえ大変なのに、子供たちに良い変化をもたらすことなどできるはずもない。 間違った生き方をしてきた自分の人生を瞑想を通して手放しながら、どれほど泣いたかわからない。 その涙は後悔と反省の涙ではなく、偽りの自分から自由になれたことへの感謝の涙だった。 本当の人生を歩むことができる喜びの涙であり、これからは子供たちを手助けできるという希望に対する感動の涙だった。 心を引き算する瞑想は、自分が人生で作り上げてきた自分だけの心の世界をきれいさっぱり痛快に解体してくれた。 私は暗くて孤独なつらい心の世界から抜け出てこの世の中と一つになって、人々と見つめあい、語りあい、笑いあえるようになった。 昔は幸せそうなふりをするのに大変だったが、今はもう無理してそうしなくてもよくなった。 心が幸福なら笑顔は自然にこぼれるものなのだ。本当の笑顔が。 [...]

[瞑想体験談]心が幸福なら、笑顔は自然にこぼれる2022-05-02T11:16:57+09:00

[瞑想体験談]初めて知った“人生の意味と目的”

2022-05-02T11:17:12+09:00

米・ホーリー=ファミリー大学 看護学科教授 ボアス・ユーさん ストレスを無くす「心を引き算する瞑想」の驚くべき効果、研究し続けたい 2013年、スウェーデン、台湾、アメリカなどの学者を中心に開かれた国際学術会議で私は「心を引き算する瞑想」に関する研究結果について発表しました。 この発表を行なった背景には、私がこれまでこの瞑想を通して非常に多くのものを得た事実があります。 瞑想効果の検証にあたっては同僚の教授たちと共に研究をスタートしました。 大学に「心を引き算する瞑想プログラム」を導入し、教職員と学生あわせて99名を対象に2011年1月から1年半の間、週4回・1回30分ずつ「心を引き算する瞑想」に取り組んでもらいました。 その結果、「心を引き算する瞑想」に取り組んだ人たちの活力と幸福指数に統計的に有意な上昇が認められたのです。 中でも不思議だったのは、学生たちは短時間の瞑想で顔の表情がおだやかになり、明るくなったという点です。 アメリカ社会はストレス指数が特に高く、様々な学術大会で瞑想の効果について発表したところ多くの関心を集めました。 私自身、「心を引き算する瞑想」を始めたきっかけがストレスの解決のためでした。 写真:https://unsplash.com 悟りとは、すでに自分の中に存在するもの 12歳のときに家族と共にアメリカへ移住して以降、私には様々なトラブルがあり、そうしたことから自由になりたいという思いがありました。 中でもアメリカ人である夫との夫婦生活では深刻な葛藤がありました。 事業の不振に苦しむ夫をサポートするのに私は必死でしたが、しだいに互いの意識にすれ違いが生じ、ぶつかることが多くなっていきました。 写真:https://unsplash.com これ以上、生活を共にしていくことはできないとの判断から離婚を切り出した私に対し、納得できなかったのか、夫は私を訴えたのでした。 以後、3年以上にわたり私たち夫婦は法廷で争い続けるというつらい日々を送ることになりました。 私の放浪が始まったのはその頃からでした。 「これまで自分なりに精一杯努力しながら生きてきたのに、なぜこんなことになるのだろう…」 信仰に救いを求めましたが、心のむなしさを埋めることはできませんでした。 旅行にも出かけ、瞑想や座禅などにも取り組んでみましたが、私は次第に、生きることに何の価値も見出せなくなっていきました。 写真:https://unsplash.com そんなある日、母から「心を引き算する瞑想」のパンフレットを受け取りました。それを見て私はとても驚きました。そこには明確な瞑想方法があったからです。私はそれまで様々な瞑想に取り組んでいましたが、どれもみな、これといった明確な方法はありませんでした。 私はすぐに「心を引き算する瞑想」を始めると、過去の経験、感情、挫折した時の記憶など心の中のあらゆる荷物が日常生活に影響を及ぼしていたことに気付きました。 瞑想センターで教えられた通りに過去の人生をふり返り手放していくと、私の心はどんどん穏やかになっていきました。そうして最初の瞑想段階を終える頃、「ああ、宇宙が私なんだ」という悟りが静かに訪れました。 本当に驚きと感謝の体験でした。そうして私は知ったのです。悟りとは自分の外側に見つけるものではなく、自分の中にすでに存在するものだということを。心を捨てて自らの本来があらわになるプロセスで悟りは自然に訪れるものなのです。 やつれ果てていた顔が若返って、とてもおだやかに 「心を引き算する瞑想」にはレベル1から7までのステップがあるのですが、レベル2からは大学の長期休暇を利用して韓国にあるメインセンターで瞑想に取り組みました。そうして改めて自分の人生をふり返ってみたのですが、本当に恥ずかしかったですね…。 私は自分のことをいつも善良な人間だと思っていたのです。 キリスト教の教会を受け持つ牧師の娘として育った私はとにかく人々に良い顔をしなければならず、同時に、人を助けなければならないという思いを常に持っていました。 ところが人生をふり返ってみると、それらは本心からのものではありませんでした。自分一人、立派なふりをしていては相手のことを理解することもできませんよね。私はしょっちゅう怒り、あらゆることを他人のせいにしてきましたし…。他人のせいで自分がストレスを被っていると考えていたのです。 本当に間違っていたのは自分自身であり、自分の中に様々な心をためこんで作った自分の思い込みだったことに心を捨てていく過程で気付きました。その結果、夫に心からの謝罪と感謝をすることができるようになりました。 写真:https://unsplash.com 私の変化に一番驚いたのは両親でした。 「やつれ果てていた顔が若返って、とてもおだやかになった」と驚きの声を上げるほどでした。牧師である父が教会の人々に「心を引き算する瞑想を学びなさい」と勧めるのを見た時は本当に驚きました。両親は、人生で一番つらい時の私をそばで見守っていただけに、その変化にはとても大きなインパクトがあったのだと思います。 私自身、ストレスのない人生は実現可能だという事実に心から感謝しています。私が今、研究として取り組んでいるのは「引き算の瞑想」に取り組んだ140名あまりの看護師や学生たちがその後、学業や心身にどのような変化を受けたかを明らかにすることです。 人生の答えは、心を空っぽにして自分の内面と向き合った時にはじめて見つかる 私が指導する看護学科の学生の中には現役の看護師たちもいます。 看護師でもある学生たちは学業に追われるストレスに加えて職場でのストレスも抱えているわけですから、そうした姿を見ると何ともいえない気持ちになります。 心や体に病を抱えて苦しむ人々をケアしなければいけない職業だけに看護師たちのストレスは並大抵のものではありません。 そうした現場で働く人々に私の研究が少しでも役立てばと思っています。 写真:https://unsplash.com 私は博士号取得論文のテーマとして介護士を取り上げたことがあります。8人の介護士に会い、その日常生活を取材し、かなり踏み込んだインタビューも行ない、そうした内容を土台に分析を行ないました。その結果、予想もしていなかった非常に興味深いことがわかりました。 介護士たちの口からは、仕事のストレスとやりがいの話が主に出てくるだろうと想像していたのですが、どの介護士たちにも共通していたのは、仕事を通して人生のむなしさを感じるという話でした。 写真:https://unsplash.com すなわち、どれほど立派な人物であってもやがて年を取り、病にかかるという姿を日常的に見ている介護士たちは仕事を通して「人生とはじつにむなしいものだ」という思いを共通して持っていたのです。 本当にその通りだと思いませんか? 人が生まれて生きる理由が、あわただしく生きては年老い、病にかかって死ぬためだとしたら人生がむなしく感じられるのは当然です。 私が「心を引き算する瞑想」を通して悟ったことは、人が生まれた理由と目的はハッキリとあるということです。 自分は誰なのか、どこから来てどこへ行くのか。その答えと出会うために私たちは様々なことを経験しながら人生という道を歩みます。そしてその答えは唯一、心を手放し空にして自分自身の内面としっかり向き合った時にはじめて見出すことが出来るのです。 体験談ホーム

[瞑想体験談]初めて知った“人生の意味と目的”2022-05-02T11:17:12+09:00

[瞑想体験談]スポーツ選手にとって最高のメンタルトレーニング

2022-05-02T11:17:28+09:00

C・Gさん/スカッシュ選手 「『すべてのスポーツは心理戦』。そう断言できるくらい、試合中に自分の心をどれだけコントロールできるかはきわめて重要です。 そうした意味で私はこれまで、心を引き算する瞑想にたくさん助けられてきましたね。 この瞑想のおかげで全国レベルの選抜メンバーにも選ばれ、4年連続で全国大会にも出場できましたから」と語るC・Gさん。 スポーツと心の関係についての興味深い体験談です。 写真:https://unsplash.com 興味本位で始めたスカッシュ。「もっと上手くなりたい」という思いが募って…。 スカッシュとの出会いは大学1年の時でした。知り合いのコーチから勧められて始めたんです。実際にやってみるとこれが面白くて、夏休みを利用してインストラクターの資格を取るほど夢中になりました。 そうして大学生活もスポーツセンターでスカッシュの講師をしながら送りました。 スカッシュとは、“ボールを四方の壁に叩き込む”という意味の言葉で、イギリスの囚人たちが刑務所でしていた、壁にボールをぶつけるゲームに由来します。 写真:https://unsplash.com 前方の壁だけでなく左右、後方の壁も利用しながら目まぐるしくボールを打ち合うスカッシュでは、一瞬一瞬の判断力と瞬発力、常に動き続ける体力が重要です。 ですからエネルギーの消耗量は半端じゃないですね。一般の人がスカッシュを5分~10分もすれば大半がヘトヘトになっていまいますよ。 それほどハードなスカッシュですが、ボールを全力で叩くと固い心に風穴があいて、たまったストレスが一気にほどけていくような気分になれるんですね。そんな所に魅力を感じて私はスカッシュにのめりこみました。ボールを思うがままにコントロールして相手に打ち勝った時の気分は最高です。 そうして私は大会にも出場するようになったのですが、ある時から敗けることを極端に嫌うようになりました。敗けるたびにプライドが傷つき、勝ちたいという強い気持ちが生まれるようになりました。 写真:https://unsplash.com 過去の失敗から自由になりたくて始めた瞑想 私はもともとスカッシュに興味があったわけですが、始めた当時はスカッシュの知名度は今よりもっと低かったんですね。国からの補助金もほとんど得られないような状態でしたから選手たちは会社に勤めたり別の仕事をしながら試合に出場するケースが大半でした。 ですからスカッシュの選手として生きていくことを決めたときは周囲からだいぶ心配されました。幸いにしてその頃、国家代表選手と合同で9ヶ月間のトレーニングをする機会に恵まれ、おかげで志を同じくする人々と一緒にトレーニングできたことは大きな励みになりました。 そうしてトレーニングを積み重ねる過程で幸運にもスカッシュの認知度は上昇し、私も自分の実力を多くの人に認めてもらおうと努力を続けました。 ところが、思ったよりも成績は振るいませんでした。 写真:https://unsplash.com 当時の私には試合中に出る悪いクセがあったんです。ミスをしたり自分のプレーが思うようにいかなかったりすると試合中ずっとそのことを考えてしまうんです。そのプレーはすでに終わったことなのにもかかわらず、です。 この問題をどうすれば解決できるのか悩んでいた時、恋人の紹介で心を引き算する瞑想と出会いました。 写真:https://unsplash.com ミスを繰り返す原因を見つけてとにかく引き算 一番最初にセンターのガイドの方からこんな説明を受けました。 「私たちは今まで人生で足し算ばかりしてきましたよね。でもこの瞑想は心を引き算するものなんです。引き算すればすべては無いものなんですよ」と。 この言葉は私にとって希望のメッセージのように聞こえました。 その競技で生計を立てようとするアスリートにとって、試合に勝たなければならないというプレッシャーの大きさは、経験した人でなければわからないと思います。本当に大変な重圧です。特に大きな試合を前にするとありとあらゆるネガティブな考えが出てきてしまうものなんです。 「試合に敗けたらどうしよう」 「ケガをしたらどうしよう」 「今後の収入はどうなるだろうか」 「敗けたら周りから何て言われるだろう…」 写真:https://unsplash.com ボールをコントロールする立場なのに、ボールに囚われ支配されてしまうんです。 そのため、普段は高い実力を持っている選手でも実際の試合になると十分な実力を発揮できないケースは少なくありません。 瞑想を始めて何日か経つと、人生の様々な記憶が一気に押し寄せてきました。小さい頃のつらかった思い出から試合で敗けた時の記憶まで…。 驚いたのはそうした記憶が心の中だけでなく、体の細胞一つ一つにまで染み込んでいるということでした。おかげで同じ失敗をなぜ繰り返してしまうのかがよくわかりました。 スポーツ選手ならみな知っていると思います。 以前に犯したミスを試合中の決定的な瞬間に自分が繰り返してしまっているということを。 本当に知らないうちにやってしまうんです。練習を懸命に繰り返して弱点を克服したと思っても、一瞬の判断でなされる実戦では元の木阿弥になってしまったり…。 無意識的な行動の数々は体の記憶によることを悟った時、あたかも永遠に解けない謎を解き明かしたような気分でした。それ以降はとにかく引き算の瞑想に没頭しました。 写真:https://unsplash.com 努力した分だけ理想のプレーを実現できる幸せ この瞑想と出会ってから私自身が一番変わった点は、ひたすら競技だけに集中するようになったことですね。 ただスカッシュが楽しくて夢中になっていた頃の気持ちを取り戻したとでもいうか…。ある時、気がつくと私は笑顔で試合を楽しんでいたんです。 心に余裕が生まれると視野も広くなり、自分や対戦相手がどのようなプレーをするのかも冷静に見えるようになりました。体と心に染み込んだ記憶に縛られることが無くなると、自分の望んだプレーを実現できるようになったんです。 写真:https://unsplash.com 複数の選手とチームを組んで試合をする時にはチームワークが何より重要になりますが、2ヶ月もの間、合宿形式で合同練習をした際はみなが互いのプレーを生かす動きができました。私が全力で叩き込んだボールをどのチームメイトも見事に打ち返してきて、スキを見せるヒマも無かったほどです(苦笑)。 合宿ではお互いのプレーを通して自分に足りていない部分を補強することができてチームメイトたちには感謝でいっぱいでしたね。 以前はミスをしたことで自分を責めたりしたんですが、今はミスも教訓としてとらえられるようになり、弱点を事前に把握した上で試合に臨めるようになったため、実績も次々に残せるようになりました。 写真:https://unsplash.com スポーツ選手としては日頃の努力の成果を試合で発揮できた時ほど幸福な瞬間はありません。 他の選手にも心の引き算を通して最高のパフォーマンスを発揮してもらえたらと思います。 体験談ホーム

[瞑想体験談]スポーツ選手にとって最高のメンタルトレーニング2022-05-02T11:17:28+09:00

[瞑想体験談]すべての疑問に対する答えを与えてくれました

2022-05-02T11:17:51+09:00

ミハイ・ミハルチク (内装業/オーストラリア・パース在住) 「私は誰なのか?」 「どこから来たのか? なぜ存在するのか?」 「人生とは何か? 死とは何か?」 こうした疑問に対する答えを私は人生で常に求めていました。 幼少の頃から両親や教師、通っていた教会の牧師にこうした質問をぶつけたりもしました。しかし、大人たちは様々に答えてはくれるものの、知ったかぶりをするだけで本当の答えを知らないことは幼い私の目にも明らかでした。 どこにも見出すことのできなかった人生の答え 成長するにしたがって私は人生の疑問に対する答えをあきらめるようになりました。 一度きりの人生、どうせなら全力で生きてみよう、思い切り楽しめるだけ楽しもう。そう考えたのです。ですが、そうした思いは長くは続きませんでした。 どれだけお金を稼いでも様々なものを買い求めてみたりたくさんの女性と出会ってみても、周囲からは幸福そうに見えていたのかもしませんが、そうした行為からもたらされる喜びや楽しさはほんのつかの間で、長続きしなかったのです。私の内面は空虚で不完全で満たされないままでした。 私の心は永遠の幸せを渇望していました。しかしながらそれはどこで見つけられるものなのか、そもそもそんなものが存在するのかどうかすらわかりませんでした。 写真:https://unsplash.com それから月日は流れ、無意味なことの奴隷になって送る人生に心底嫌気がさした私の心に、幼少期の頃に抱えていたあの疑問の数々が再び思い浮かびました。今から数年前のことです。 「私は誰なのか?」 「人生とは何か?」 「ただ食事と排泄の繰り返しが人生のすべてなのか?」 「今よりもう少しの幸せのためには常に今を苦痛と引き換えにしなければならないのか?」 「自分が相手よりも優れていることを証明するために争い、人より多くのお金や大きな家や、より高価な物を所有していることを誇示し、そして死ぬ。それが本当に自分が生きる理由なのだろうか?」 私は人生にただ一つの幸福も見出すことができませんでした。 写真:https://unsplash.com すべての疑問への答えを与えてくれた心の引き算 ところがある日、散歩をしているときにパース瞑想センターの看板が目に映りました。そして何気なくセンターに立ち寄ってみたのです。短い説明を受けたのですが、ここには人間の心を宇宙の心に変えるメソッドがあり、センターの人々がその方法を知っているのを感じました。私はそれまでも様々な所を訪れてみたりもしていたのですが、具体的な方法や結果はありませんでした。しかしこのセンターでは、心を捨てれば自分みずからがすべてを知ることができるというのです。私が望んでいたのは答えを聞くことではなく、私自身が答えそのものを手にすることでした。 「ここだ!」 私はそう思いました。 写真:https://unsplash.com 翌日から瞑想方法にしたがって瞑想を始めました。センターに入ったとき、人々が私から何かを得ようとするのではなく、私を心からサポートし答えにたどりつけるよう力を貸そうとしてくれているのがわかりました。みな情熱的で献身的に案内をしてくれました。 瞑想方法はとてもシンプルで簡単なものでした。私はその方法に魅了されました。そうして2週間が経ち、瞑想の最初の段階を終える瞬間の出来事でした。 「私は誰なのか?」という、人生における最も大きな疑問。その疑問への答えを私は悟ったのです。本当に奇跡のようでした。 私の両親は宗教への信仰を持っていましたが、その両親も「私は誰なのか?」「人生とは何か?」「死とは何か?」に対する解答を私に与えることはできませんでした。真理を得ようと世界中を旅してたくさんのことを試しましたが、私はいつも空虚でした。しかしここにその方法があったのです。 写真:https://unsplash.com 1段階から7段階までの瞑想をしながら私は、それまで抱えていたあらゆる疑問への解答を得ました。狭い自分の人間の心、自分の人生のビデオテープとそこから生じる数多くの考えの中にいたために不完全で人生がストレスと苦痛でしかなかったのです。自分の思いに沿うようにこの世の中を変えようとするから苦労するしかなかったのです。しかしその思いを手放すことによって無限大の本来の宇宙の心に帰ることができました。 ストレスでいっぱいだった心に今は幸せだけが満ちている 私は本当の故郷である自分の本来を取り戻しました。人間の完成を実現しました。この世の中は完全で、平和な心と共に永遠の安定を得たのです。人生における苦痛とストレスから抜け出して生きられる有難さと幸せは本当に言葉で表現できるものではありません。また、私が手にした永遠の生と幸福の前ではどれほどの富と名誉も何の輝きも持ちません。 この文章を書きながらも涙がにじんでしまいます。監獄にも等しかった人間の心から解放され、永遠の幸福とそして自由を与えてくれたこの方法に心から感謝しています。 写真:https://unsplash.com アレクサンダー大王は剣で世界を征服しましたが、人生において成功することはできませんでした。彼は臨終の際、自らの遺体を棺に入れる時には自分の手を棺の外に出し、人々の目に触れるようにせよとの遺言を残したそうです。人間がこの世に生まれる時、みな何も持たずにやってくる。その後どのような力を得て金持ちになろうが有名になろうが、この世から離れる時は再び手ぶらで旅立ってゆく。そのことをアレクサンダー大王は人々に示したかったといいます。 有難いことに私はこの驚くべき瞑想法のおかげで、アレクサンダー大王のように剣で世界を征服する道ではなく、本当の世界を覆っていた偽りの自分の心を手放すことで本当の世界を手にする道を歩むことができました。 この瞑想法はとてもシンプルで簡単で誰でも取り組めるものです。私にも、他の大勢の人々にも取り組むことができた方法です。この体験談を読んでいるあなたにも取り組むことのできるものです。ぜひ最寄のセンターでこの瞑想を始められることを願っています。今や人間の心から抜け出し宇宙の心となって私たち皆が一つの心で生きる時代がやってきたのです。 体験談ホーム

[瞑想体験談]すべての疑問に対する答えを与えてくれました2022-05-02T11:17:51+09:00

[瞑想体験談]パニック障害は静かに消え去りました

2022-05-02T11:18:11+09:00

職場での過度のストレスからパニック障害を患ったというG・Kさん。 「すべては心の問題」という医師の言葉から、空気の良い田舎へ移り住んだり、心に関する自己啓発書を数多く読んでみたりもしたものの、答えに出会うことはできなかったという。 “このまま死ぬんだな”と思い詰めていた時、同僚から勧められたのが心を引き算する瞑想だった。 心を引き算しただけなのに、パニック障害は何事も無かったかのように静かに消え去った。 心の病に苦しみ続けたある会社員の瞑想体験談。 心に過剰な負荷がかかるとパニック障害が起こる 入社して5年たった頃、私は他の支店に転勤になりました。不慣れな環境に適応する間もなく上司から浴びせられる指示の数々…。 処理しなければならない書類は常に山積みで目の回るような忙しさでした。 職場の人々ともよくもめました。 上司の一言に深く傷つき、一方で評価される同僚への劣等感は大きくなる一方でした。 「上司は他の部下ばかり可愛がり、私のことは嫌っている。出身地方も違うから良くしてもらえない…」。 周囲の人々の姿を自分勝手に解釈し、自らを苦しめ、私はどんどん卑屈になっていきました。自分が育った環境まで恨めしく思いました。田舎の島で育った私が上京してからずっと持ち続けていたコンプレックスでした。 小さなことまで根に持ち寛容でいられない自分が情けなく思われました。そんなある日のこと。 写真:https://unsplash.com 会社で昼食をとり、イスにもたれて休んでいると不意に不安が襲ってきました。まるでそれまで全身に眠っていたスイッチが一気に入ったかのように、体中に不安感が押し寄せてきたのです。 退勤時間になるや否や会社を飛び出し帰宅しようとしたものの、気分が悪く帰りの電車に乗り続けていられず、途中下車しなければなりませんでした。あわてて病院を探し駆け込んだのは夜間の救急病棟でした。 冷や汗で全身びっしょりになり、呼吸するのも苦しく、頭から足のつま先までマヒしたかのようでした。「このまま死んでしまうかもしれない」。そう思いました。 これが、その後も続く病魔との戦いの始まりでした。 突然増えた仕事量は強いプレッシャーとなり、心に大きな負荷をかけていたのです。 写真:https://unsplash.com 「薬は補助に過ぎない。心を入れ替えろ」と医師は言う。しかし、どうすれば… 病院の診察でパニック障害だと診断されました。医師からは「薬は補助的な役割を果たすに過ぎないから、心を入れ替えなければ良くならない」と言われました。でもそれでは一体、どうすれば心を入れ替えられるものなのか…どうしていいかわかりませんでした。 心は常に緊張状態で心臓の動悸にも悩まされていました。おおぜいの観客のいる舞台に立っているような気分。緊張がひどくなると過呼吸で息が出来なくなります。 いつそれがやってくるかもしれない不安から体重はどんどん落ちていきました。恐怖感に突然おそわれたり、地獄にいるような恐ろしさを24時間味わったこともありました。 写真:https://unsplash.com 静かな環境に身を置けば症状が改善するかもしれないと思い、地方勤務を願い出たりもしました。しかしそうした場所でも症状に変わりはありませんでした。 その後、都市部の支店に戻りました。業務自体はさほど大変ではなくても、息が詰まるほどあわただしい大都市の業務習慣は相変わらずで、私が精神的にもろくストレスに弱いからこんな病気になったのだという思いが頭から離れませんでした。 心をコントロールできるという本も読み、心を落ち着かせようとしましたが、たいした効果はありませんでした。悪いことは重なるもので、引っ張られたギターの弦のように後頭部がひきつる症状まで現れ、絶え間ない死の恐怖にさらされる思いでした。 写真:https://unsplash.com 小心な自分と共に静かに消え去ったパニック障害 40代に最も多いと言われる“突然死”。まさに自分がその犠牲になるのだなと思いました。そのとき不意に以前同僚から勧められた「心を引き算する瞑想」のことが頭に浮かびました。すぐさまセンターに行き、死ぬ気で心を捨てました。 この弱い心のためにこんな病気にまでかかり、これまでどれほど苦しんできたことか…。そんな心を捨て去ることができるということ自体、本当にありがたかった。 悲惨だった日々のことが脳裏に浮かびました。 家族の前で歌を歌うことすらできないほど小心で、学級会では一言も口にできなかった学生時代…。 自分は弱い。自分は小心者。そんな記憶の数々を思い浮かべ、こんな気弱な人間に自分を生んだ両親への恨みつらみも捨てました。 写真:https://unsplash.com 私は周囲の人々に優しい善良な人でいたいと普段から思っていました。しかし自分の内面をふり返ってみると、人からほめられたいがために行動していただけだったということがわかりました。そのため、私なりに良くしてあげたと思っていた人から非難されたりすると大きく傷ついていたのです。 そうした心の傷の数々が私をさらに緊張させ、萎縮させていたのです。心の傷が私のストレスになっていたのでした。私はけんめいに心の傷を捨て続けました。 そうした心の傷の数々が私をさらに緊張させ、萎縮させていたのです。心の傷が私のストレスになっていたのでした。私はけんめいに心の傷を捨て続けました。 写真:https://unsplash.com そしてあるとき感じたのです。書類一枚、周囲の人から発せられる一言、上司の指示一つに縮み上がり傷ついていた自分という存在が消えてなくなってゆくのを…。 死ぬ気で心を捨てていただけなのに、私は少しずつ変わっていきました。そして私を苦しめてきたパニック障害もいつの間にか静かに消えていったのです。 本当に奇跡といっていいほどの出来事でした! この世の中は自分の心をそっくりそのまま映し出す。つらく苦しいのならその心と向き合うこと。 写真:https://unsplash.com その後、当然のように職場での生活も変わりました。周囲とぶつかることも減り、物事を広く見て受け入れる余裕が生まれました。以前のように仕事に取り組む前から「上手くいくだろうか?」と心配し焦ることもなくなりました。結果は時間が経てば自然にわかるものなのだから、その過程で最善を尽くせばよいのだと思えるようになりました。 一緒に働く同僚たちにも感謝でき、人を批判するよりも自分が自分の仕事にベストを尽くせているかどうかを気にかけるようになりました。 すべてがあっという間に移り変わる現代。あらゆる人が「職場でのプレッシャーは増すばかりだ」と口にします。これまでのスタイルにこだわり、自分を変えようとしないのなら今後その重圧は増大する一方だと思います。 幸いにして私は心を捨てることによって、それまでの凝り固まった固定観念も同時に変えることができました。おかげで新しい分野への関心も生まれ、後輩たちにも気兼ねなく助けを求められるようになりました。 写真:https://unsplash.com 人前ではまともに話すことも出来なかった私が、気がつけば家族をリードし、また同窓会のような集まりでは司会をするようになりました。多忙な日常ではありますが、暮らしに追われているという思いはありません。いつも前向きです。 「この世は自分の心をあるがままに見せてくれるものだ」という言葉があります。今この瞬間、ストレスで苦しんでいたり、好ましくない出来事によって悩んでいるのなら、まずは自分自身の心から見つめ直してみることを私はお勧めしたいです。 自分のことを振り返ってみることができるということは、とりもなおさず新しい自分、新しい世界と出会う準備が出来ているということなのです。 [...]

[瞑想体験談]パニック障害は静かに消え去りました2022-05-02T11:18:11+09:00

[瞑想体験談]心的外傷後ストレス障害(PTSD)を完全に克服できました

2022-05-02T11:18:30+09:00

消防士のジャン・ハクスさん(46才)は、心を引き算する瞑想を通じて心的外傷後ストレス障害(PTSD)を完全に克服できたという。 彼が取り組んでいるのは、火災、交通事故、山岳事故などの各種緊急事態に対応し国民の生命と安全を守る仕事である。職業柄、凄惨な事故現場を目の当たりにせざるを得ない身体的・精神的なストレスから心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患い長年苦しんできたが、心を引き算する瞑想と出会い、自分を縛り付けてきた過去の記憶からようやく自由になれたという。そんな彼は今「誰かを救うことができるということに感謝しかない」と語る。 写真:https://unsplash.com 出動ベルが鳴ると、一刻も早く現場に駆け付けようと反射的に体が走り出します。自分がいつどんな状況にさらされるかも知れない緊張の連続。その上、人命救助は時間との戦いです。最初のころは出動に対するプレッシャーがすごかったですね。それでも尊い人命を救い出せた時の充足感と喜びは言葉では表現できないほどです。 消防士の仕事で最もつらいのは事故現場で目にする悲惨な光景です。私が初めて人の死に触れたのは交通事故の現場においてでした。中年女性の遺体を運んだのですが、その時の光景は長らく脳裏から離れませんでした。 2005年に救急救命士の資格を得て本格的に救急救命にあたることになってからはさらに深刻な場面に遭遇することになりました。 転落死、自殺、交通事故など各種事件・事故の現場に赴くうちにいつしかその場面が深く記憶に刻印されるようになったのです。 写真:https://unsplash.com 任務中にもふいに脳裏に浮かんできたり、夢に見てうなされたり…。以前行った現場と似た状況に出くわすとその時の記憶がよみがえって本当に苦しかったですね。もうこんな光景は二度と目にしたくないと切実に思ったりもしました。仕事を辞めることも真剣に考えるほどで、また現場で命の危険を覚えることも少なくありませんでした。 2002年には大きな山火事があったのですが、一挙に炎に包囲され命を落とすところでした。幸い消防ヘリのおかげで九死に一生を得ましたが、そうした体験をして以降は出動ベルが鳴ると恐怖を覚えるようになってしまったのです。 写真:https://unsplash.com そうして2007年に地方の勤務地で3年を一人で過ごすうちにうつ病になりました。火事が起これば消防車で駆け付け、けが人や病人がいれば救急車で病院まで運び…。一人で現場を回していましたから「もう一人だけでも誰かがいてくれたら」と思いましたね。頼れる同僚もいない中で任務を果たすプレッシャー、さびしさと恐怖、そのうち何事にも無気力になり、「この仕事を続けるべきなのか」と幾度も悩みました。 心を引き算する瞑想と出会ったのは偶然そんな時期でした。「本当に心を捨てることなんてできるのだろうか?」。そう思いましたが、自分を苦しめる考えから少しでも自由になりたかったですし、現状から抜け出したいという思いで解決策を探していた最中でしたから、すぐに瞑想センターを訪れることにしたのです。 最初のころは、記憶を思い返して捨てるということに苦労しました。特に死と関連する記憶を捨てる時は悪戦苦闘しましたね。そのうち「どこまでやれるか勝負だ!」とやけっぱちになって捨てたりもして、そうこうするうちに自分にとって死に対する恐怖がなぜここまで大きかったのかがわかるようになりました。 幼少のころ、ひいおじいさんが亡くなったのですが、その時、葬儀でお経を読み上げるお坊さんの姿や弔問客をじっと見ていた自分…。怖くて自分の部屋にも入れなかった記憶…。そんな人生の記憶の数々が自分の中に保存されていて、それが自分の心を突き動かしていることに気付いたのです。その事実を知ってからはより懸命に瞑想に取り組みました。するとある時、「ああ、これらはみな実在しない虚像なんだ…」と心から悟ったのです。 その時から本当にきれいに心を捨てられるようになりました。 また、不思議なことに瞑想に取り組んでからたった三日で、布団に入るや否や眠れるようになりました。私には睡眠障害があり、布団に入っても寝入るまでに一時間以上かかり、さらに途中で3,4回は目を覚ましてしまう状態でいつも疲れが取れなかったのですが、朝までぐっすり眠れるようになって最高の気分になったのです。 写真:https://unsplash.com そうして瞑想を続けていると、ある時、心の中にあったずっしりとした重石(おもし)のようなものがドカンと砕けて一切がなくなったかと思うと、いっぱいに満たされている感じがしました。そして宇宙が本当の自分であることを悟りました。その瞬間がどれほどうれしいものだったか…。まるで一寸先も見えない濃霧の中に一筋の光が差し込んだかのような、それまで山積みだった宿題が一瞬で片付いたような気分でした。 じっさい生と死の境を行き来する仕事をしていると、人の命はハエの命と変わるところがないのだなと感じる瞬間があり、いつもむなしい気持ちを私は抱えていました。一体、生きるとはどういうことなのか、その意味を求めていましたが、瞑想を通じてその答えと出会うことができたのです。この体が生きるということなのではなく、宇宙と一つになり、その精神として永遠に生きることこそ本当の生であるということを…。 休暇が終わってからも引き続き地道に瞑想に取り組みました。 そうしているといつからなのか、自分の変化を感じ取れるようになりました。まず出動に対する恐怖が少しずつ薄れていきました。働くことができることに感謝でき、自分の仕事が人を助ける仕事であることに感謝でき、共に働く同僚たちに感謝でき…。すべてを前向きにとらえられるようになり、今の仕事は天職だ、自分の居場所はここなんだと気持ちが大きく変わったのです。 写真:https://unsplash.com 何よりも素晴らしかったのは、自分を苦しめたあの悲惨な現場に関する記憶の数々から自由になれたことです。いつも避けたくて仕方がなかった事件事故の現場で冷静沈着に任務を遂行する自分の姿には私自身が驚くほどです。そうして心の平穏を取り戻すと、一日に10件以上の事故処理にあたっても疲れ知らずになりました。そのとき私は悟ったのです。本当の休息とは、心が安らいでいることだと。 消防士、警察官等の職務現場では、他の職業と比べて心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩む人が少なくありません。はたから見れば明るい人でも、そうした内面を押し殺しながら勤務している人は多いのです。そうした人々には特に「心を引き算する瞑想」をやってほしいですね。わが家をきれいにリフォームするように、自分の心もリフォームする。そんな感じで瞑想に取り組んでもらえたらと思います。傷み疲れた心を手当てして、重たい記憶も取り除けば、安らかな新しい心で生きることができますから。 写真:https://unsplash.com 今は出動ベルが鳴ると無心で体が駆け出します、何の迷いも不安もなく。「さあ行くぞ!」。そんな思いで真っすぐに自分が必要とされている場所へと力いっぱい向かうだけです。 体験談ホーム

[瞑想体験談]心的外傷後ストレス障害(PTSD)を完全に克服できました2022-05-02T11:18:30+09:00