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良い音楽のために瞑想、そして心の引き算

2021-04-21T18:20:56+09:00

シン・ジヘさんは将来を嘱望される実力派のオーボエ奏者だ。 ドイツ留学後、韓国に帰国し様々なオーケストラや室内楽の演奏に参加するかたわら韓国芸術総合学校音楽院および慶北大学にて講師を務めている。 かつての指導教官であるイ・ユンギョン氏(現 慶熙大学教授)はシン・ジヘさんに対し「優れた音楽性を持っている。何より優れているのは常に平常心を維持し揺れ動くことがない点だ」と語る。ジヘさん自身、「演奏において終始安定した力を発揮できているのは心を空っぽにする時間があったからです」という。 写真:https://unsplash.com 絶え間ない競争、幸せだったことのなかった音楽人生 オーケストラの演奏において、オーボエは最初の音の基準点を作る役割を果たします。演奏に先立ってオーボエが「ラ」音を響かせ、他の楽器がそれに音を合わせるのです。 この最初の「ラ」音を聞くだけでそのオーボエ奏者の実力がわかります。オーボエの音がズレているとオーケストラ全体のバランスが狂うため、オーボエ奏者には大変なプレッシャーがかかります。 音楽大学への入試から始まり、学内での試験、そしてオーディション…。音楽家の人生といえば優雅なイメージがあるかもしれませんが、実際は絶えることのない競争の連続です。 写真:https://unsplash.com 私は幼少の頃から音楽と共に育ちました。母の専攻がピアノだったため、家の中ではピアノの音が常にあり、家の外ではオーケストラの演奏会や楽器別の独奏会など、母はたくさんのクラシックの演奏会に私を連れていきました。 このような環境の中で母は、娘も当然何らかの演奏をするべきだと考えたわけです。最初はピアノ、次にチェロを学び、中学の時にオーボエを始めました。甘美な音色というか、人の心を揺さぶるというか、そんな点が魅力でしたね。練習は大変でも舞台の上で演奏した時の達成感、拍手と共に注目されるのは素晴らしい気持ちでした。 しかしながら、本当に幸せだったことはあまりありませんでした。負けず嫌いで神経質な性格のせいでたくさんのストレスがありました。ですから胃もたれとは縁が切れた時がありませんでした。 オーボエは息を吹き込む吹奏楽器ですから呼吸がすべて楽器に伝わります。自分の内面のコンディションが悪ければ、他の楽器に比べ、それがすぐに反映されてしまうのです。ですから学生時代の指導教官からも「オーボエの演奏には揺らぐことのない平常心が大切だ」と言われていました。でもそれは容易なことではありませんでした。 写真:https://unsplash.com 平常心を保つために、ドイツ留学中も“心を引き算する瞑想”を継続 そんな私が変わるきっかけとなったのが大学2年の時に始めた「心を引き算する瞑想」でした。最初は一週間だけやってみるつもりだったのですが、心が空っぽになると本当に気持ちが楽になって素晴らしかったです。 心が空っぽになると多くのことが変わりました。不要なストレスや心配事も消え去って、それと共に演奏の実力も上がっていったのです。 そうして2007年にドイツ・マンハイム国立音楽大学に留学した時のことです。私はドイツ留学ですっかり怖気づいてしまったのです。 韓国では自信があったのに、自分が本当にちっぽけな存在に感じられ、不慣れな環境で言葉も通じず、いろいろと大変なことがあったのですが、そんな時に最も心のよりどころとなったのがフランス・パリにある瞑想センターでした。 写真:https://unsplash.com 今はドイツ・ベルリンにもセンターがありますが、私がマンハイム音楽大学にいた時は最も近いセンターがパリのセンターでした。エッフェル塔の近くにあるセンターなのですが、電車で片道3時間の距離でした。そこには韓国語を教えている大学教授や韓国からの駐在員、留学生などといった人々が多く、みな心を引き算するために集まった人々なので、雰囲気もとてもよかったです。 いつ訪れても美味しいものをごちそうしてくれたり、瞑想のサポートをしてくれたりと助けてもらいました。留学生活で大変なことも、心にたまった思いも、自分自身の枠もおかげで手放すことができ、不慣れな環境を乗り越える勇気も生まれ、前向きな気持ちで留学生活を送ることができました。 そうした中で、ある日、私は瞑想をしながら本当に心に大きなものを握りしめていることに気付きました。それは他でもないオーボエでした。私はオーボエのない自分を想像することさえできませんでした。 いつも自信をもって人と接することができるのもオーボエがあったからで、人々が私を認め、私に好意を寄せるのも私にオーボエがあるためでした。オーボエに対する凄まじいばかりの執着が私を縛り付けていたのです。 オーボエが私のすべてだから、人々から賞賛を受けるためにさらに上達せねばならず、失敗を恐れ、不安になり、失敗すれば悩み苦しみ…。好きだから、ではなく、不安だからオーボエを続けていたのです。オーボエから離れたら人々から無視されるのではないかという不安感から私は演奏をしていたのです。 音楽、名誉、愛…すべてを手放した時、心から音楽を楽しめた 心からオーボエを手放さなければと思いました。必死の思いで何日も何日も手放しました。そうして心から手放すことのできた時の解放感…。 まさしく自由そのものでした。音楽、名誉、愛…それらをすべて捨てて空っぽになった時、本当の自由が得られることを悟りました。捨てれば無くなってしまうように思えるけれど、この世の中はもっと大きなものを与えてくれたのです。 写真:https://unsplash.com そうして一度、大きく自分を乗り越えた時から本当の意味で音楽を楽しめるようになりました。舞台の上で演奏をすることが180度変わりました。楽器を演奏するその瞬間自体がとても尊いものとなり、毎瞬間全力を尽くせるようになったのです。 いつもの楽譜なのに、今まで見えなかった部分まで見えるようになり、この音楽をどう表現すべきだろうかというアイデアまであふれ出るようになりました。 写真:https://unsplash.com それまでシン・ジヘという小さな心の世界で演奏していたとすると、今はそこから抜け出したもっと広い視野から全体を見渡せるようになりました。以前は「私のすばらしい演奏を聴いてみない?」という感覚だったのが、今は人々の評価が気にならなくなったため集中力も上がり、水が流れるように演奏もスムーズになりました。 そんな私の姿を見た友人たちからも「リラックスしてるね」「顔つきから変わったね」とよく言われます。瞑想することで最も効果が出るのが集中力です。 頭の中で絶えず顔をのぞかせる雑念が消え去れば、自分の望むとおりに最大限の能力を発揮できるようになります。まさしく空っぽになってこそ、どんなものも入れることのできる容器になれる。心からそう実感しています。 写真:https://unsplash.com 音楽家や演奏家たちにとって心をコントロールすることは特に重要だと思います。 周囲を見ても、舞台に上がる緊張感から精神安定剤を手放せない人々は少なくありません。 音楽家や演奏家たちは音楽を通して自己を表現するわけですが、良い音楽のためにも必ず一度は自分自身を手放す時間、心を空っぽにする時間を持ってほしいと思います。 素晴らしい音楽は人々に安らぎと幸福を与えてくれます。私も無心の音楽でこの世と一つになりたいと思っています。 私の演奏を聴いて「幸せになった」と言って下さる方が増えてくれる日を夢見ながら…。 体験談ホーム

良い音楽のために瞑想、そして心の引き算2021-04-21T18:20:56+09:00

交通事故トラウマから抜け出す

2021-04-21T18:17:39+09:00

大学2年生の時、思いもよらない交通事故にあい、その後、日常生活が大変だったというJ.H (25)さん。、横断歩道を渡るたびに、冷や汗が出て、車の音を聞くだけでも驚くほど「交通事故外傷後ストレス」に苦しめられた。 その苦痛から抜け出すために最善を尽くしたが、どれも解決には至らないことに気づいたある日、彼女は瞑想に出会った。そのおかげで、 過去の記憶に駆られるゾンビのような人生から脱出したと今は明るく笑う、清々しい女子大生の瞑想の物語だ。 J.H (25) /大学生 写真:https://unsplash.com 大学2年生の時でした。 授業に行くために横断歩道に立っていると、車が一台見えました。 車が止まっていることを確認した上で横断歩道を渡ったのに急にその車が私にぶつかってきたのです。その瞬間、慌てた運転手はブレーキの代わりにアクセルを踏んでしまったため私はボンネットの上に乗ってしまい、それから横に落ちてしまいました。 少しでも遅ければバスにひかれていたかもしれない危険な状況でした。専攻していた授業の本は粉々になり、全身の衝撃は言葉で言い表すことができませんでした。さらに、「私は忙しいから保険会社に連絡だけしておけ!」という加害者の態度にも腹が立ちました。 写真:https://unsplash.com その後、十日間も病院に入院しているのになぜか、恐怖感が続きました。これはなぜなのか説明できません。 特に夜一人でいると不安で恐ろしい気持ちになりました。 世の中にたった一人残されたようでした。 私は車がぶつかってくるとは思わなかったのです。止まっていたし、横断歩道だからと信じて渡っていたからこそ、大きなショックを受けました。 それに相手が「傍若無人」な態度だったことにも、さらに不安を感じました。 写真:https://unsplash.com その時から車に対するノイローゼになりました。 最初は一人で道を渡ろうと何度か試みたんですが、とても緊張してしまい、結局、諦めて戻ったことも多いです。一週間が過ぎてからようやく横断歩道を渡るようになりましたが、 何度か立ち止まって、横断歩道の前に人がたくさん集まっている時に、一緒についていくようにしました。 それでも不安でした。 いつ車が方向を変えて私にぶつかってくるかもしれないと思いながら車を注視していました。 それに車の音にも敏感になってしまい、車のエンジンの音が聞こえるだけでも、遠く離れて歩いている時にキーッという音がするだけでも不安になりました 。 その時思いました。 世の中に車のないところなんてないんだなと。 性格も鋭敏に変わりました。 冗談の言葉にも腹が立ちました。 写真:https://unsplash.com それを言った人が悪いわけではありません。 私が変わってしまい、そのコントロールができなくなってしまったのです。結局学期末に休学をすることになりました。 平凡だった日常生活が困難になり、私の人生設計も狂ってしまったため、加害者に対する怒りが増していきました。 その交通事故を本当に恨みました。 事故が起きなかったら...本当に沼の底ような気持ちです。意識していなくても、とっさに震えてしまうのです。 事故が起きる前の私に戻りたくても、何もかもそれ以前には戻ることができない、そのことが私を苦しめました。 写真:https://unsplash.com 家族、友達の慰めさえも私には何の力にもなりませんでした。 さらには両親の「もう忘れて頑張れ」という言葉にもすごく腹が立ちました。子供の苦痛に胸を痛めてくれていた言葉なのに、両親までも恨むほど、私の心は疲弊していきました。 校内での事故という理由で法的に保護もまともに受けられず、世の中に対する恨みも大きくなっていきました。 結局、自分のことは自分で守らなければならないのね...と思うようになりました。うつ病がひどくならないように克服しようと前向きに考え、友達にも会って、一生懸命、1日3時間ずつ運動をして、1年以上続けたのにもかかわらず、変化がないのでだんだん疲れていきました。 その時は前が見えなかったです。 脱出口もないし、答えもないのに、ずっと必死で走っているような感覚でした。 写真:https://unsplash.com そうした渦中、高校1年生の時にした瞑想が思い出して、家の近くの瞑想スタジオに訪問しました。瞑想は記憶された思い(トラウマなど)を捨てることです。最初の頃は事故の記憶を思い出してしまい本当に大変でした。あの時の自分の姿が嫌で、状況を思い出した瞬間、運転者の顔、失ってしまった私の人生、絶望感と怒りが入り混じって、苦しい思いになりました。それでも、その状況を思い浮かべないと捨てられないため、少しずつ思い出すようにしたら、予想より早くなくなりました。 そうしながら少しずつ苦しさから脱出していきました。細胞の一つ一つにも思いが残っていると感じました。なぜなら、捨てていく過程で、当時と同じように痛くなったからです。一場面一場面を思い出し、苦痛も一緒に捨てていくような気持ちでした。常に体中が重く感じていたのですが、一気に軽くなり、体力も次第に良くなりました。 写真:https://unsplash.com 交通事故によって生じたトラウマだけでなく、これまで生きてきたあらゆる心まで振り返り捨てることができました。 振り返ってみると、ある出来事、その記憶が人生の一瞬たりとも忘れることがなく、引き続き影響するということが本当に怖かったです。 心の写真を撮って、その中に生きていくのは本当に恐ろしいです。一生その出来事の奴隷のように振り回されて生きることになります。本当に私というのは過去の写真の集合体でした。 それがとても無惨だったので本当に熱心に捨てました。 そうするうちに、希望が出来ました。 私を苦しめてきたその気持ちから完全に抜け出せるという確信が持てるからです。 写真:https://unsplash.com いつのまにか、イライラしなくなったのが不思議です。事故を思い浮かべても、たまに事故の話が出ても、平気になりました。 特に車の音がした時には、私の中の変化を大いに感じました。 前はキュンという音を耳にしただけでも逃げていました。 でもある瞬間からは普通に道を歩いているんです。 そして、世の中のすべての目に入るようになりました。 街、風景、友達の顔...日常が楽になったのです。 私は、目つきが変わり、性格も変わり、何より私を苦しめた人たちを理解できるようになったのが感謝です。おかげで、私の人生は変わり、本当に意味のある人生とは何かということがわかりました。いつの日からか、許すということを自然にできるようになりました。さらにありがたいこともありました。 写真:https://unsplash.com 世間に対する怒り、恨みなど否定的な感情が消えてしまったのです。心がとても自由になりました。 20代前半はゾンビのような人生でしたが、今からでもありのままの世の中を感じながら人間らしく暮らせるようになったということが、本当にありがたく思います。 心を空っぽにしてこそ、世の中が見えて、苦しめている自分の心から脱することができるということを多くの人々に知ってほしいです。 [...]

交通事故トラウマから抜け出す2021-04-21T18:17:39+09:00

パニック障害で苦しんでいるすべての方々へ

2021-03-25T13:55:35+09:00

パニック障害は、言葉で表現するには本当に難しい病気です。 突然めまいになったり、すべての熱が頭に上がったり、すぐ倒れそうな状況になったり、極度の恐怖心を感じます。 Y. Yさん 会計事務所運営 写真:https://unsplash.com そんな状態が予告なしでやってきます。 写真:https://unsplash.com サッカー場で感声を聞く時、映画館で映画を見る時、車に乗っている時、急に止まる時、トンネルに入った時、「あぁ、この車の中にいると死んでします。 降りて逃げていきたい」という考えが自然に浮かび、自分の体を自分ではどうすることもできなくなるのです。 実際には倒れることはなく、死ぬこともないのに、あっという間に私の頭の中では最悪のシナリオが展開されてしまうのです。 写真:https://unsplash.com 家長としての責任感とプレッシャーがパニック障害になり このような症状を感じ始めたのは十年ぐらい前のことです。 頭が痛くめまいがひどかったので病院に行きました。 日頃、お酒をたくさん飲んでいたこともあり、単純に体力が落ちたせいかなと軽く思っていました。 写真:https://unsplash.com パニック障害というのが珍しい頃だったため、風邪のせいだ、酒のせいだなどの誤診も多かったのです。ところがずっと症状が改善されなかったため精密検査を受けたところパニック障害ということが判明しました。 その後、薬を飲んで治療を始めました。 しかし、症状がよくなることはなく発作の瞬間を免れて沈めることしかできなかったのです。 4~5か月間ずっと薬を飲み続けると眠くなることが多く、ぼーっとしている状態が続いて会社の業務も半分しかできず、社会生活も難しくなりました。 そんな中、家族の勧めで瞑想を始めるようになりました。 瞑想は、自分をかえり見ることから始まりました。 家長として私はお金を稼がなければならない、家族の扶養をしなければならないという責任を常に感じており、そのプレッシャーに耐えようとしてお酒もたくさん飲みました。 それがパニック障害を生むことにつながったのです。 写真:https://unsplash.com 心を捨てればパニック障害のコントロールが可能になる 特定の状況になると現われるすべての感情と考えそのものがストレスでした。 生きてくる内に積もったすべて感情やストレスを続けて捨てました。パニック障害に対する恐怖と不安、苦しかった経験、イライラも全部捨てました。 そして、そんな心自体がそもそもなかったものだということを100パーセント確信した瞬間、今までのどんな治療よりももっと上手くパニック状態をコントロールできるようになりました。 写真:https://unsplash.com 心を捨てれば捨てるほど症状が良くなり、薬もやめて、好きだったお酒もほとんど飲まないようになりました。 そして、運営している会計事務所において人に接する時、いつも敵対心を持ち、小言が多かった方でしたが、そんなこともなくなりました。 また、いつもにらみつけるような私の印象も、過敏な性格もかなり穏やかになりました。 写真:https://unsplash.com 今は、パニック障害の気配があらわれたら 、予めそのようなストレスと感情を無くして、予防できるようになりました。 自分の中で縛られていた心から抜け出ることができ、その残酷なパニック障害を乗り越えられたのが本当に夢のようで、とても感謝しています。 写真:https://unsplash.com 最近は中年の男性にパニック障害が多いようです。 同じ苦しみを経験した一人の人間として、それが心の病であることを知る一人の人間として願います。 パニック障害で苦しんでいるすべての方々が、一日も早くその原因が分かり、その苦痛から抜け出すことができるようにと。 体験談ホーム

パニック障害で苦しんでいるすべての方々へ2021-03-25T13:55:35+09:00