I・Oさん/教員

「先生はなぜ作り笑いをしてるの?」

廊下で他の先生と挨拶をする私を見て教え子が言った言葉だ。

「挨拶は明るくするもんでしょ!」と答えはしたが、頭を殴られたような衝撃に、内面の動揺は隠せなかった。

子供たちの前で恥ずかしかった。

そして何事もなかったかのようにその場をやりすごそうとした自分が何ともかっこ悪く、情けなかった。

小学校の教師になって10年。子供たちのために私は必死でがんばってきたつもりだったが、そんな私に返ってきたのは、「先生の笑顔はニセモノだ」という言葉だった。

農村に暮らす小学5年の純粋な子供の目に私の仮面は見破られ、私の心は打ち砕かれた。

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子供たちを変えようとする努力と現実

私は本当に“良い先生”になりたかった。

その夢を実現するために私はいつも忙しく、あわただしかった。夏休みや冬休みには、研修やセミナーの予定で私のスケジュール手帳はいっぱいになった。

専門家やその道のプロのもとを訪ね歩き、絵や音楽、キルト織物、裁縫、染物を学んだりもした。

子供たちの、瞬く間に消え去ってしまうイキイキとした声や笑顔を記録しようとビデオ撮影のセミナーにも通った。

学んだことをそのまま授業に活かそうとしたのである。みんなで音楽を演奏し、美術作品を作り、染物で巾着を作り…。そんな活動の数々を文集にまとめ、写真と映像はDVDやCDにして子供たちに配布したりした。

そんな努力をするほど、私の中には様々な課題が繰り返し提示されてくるのだった。

「知識を机の上でだけでなく、人生で活かせるようにするにはどうすればいいか?」

「自ら行動する自発性をはぐくむ方法はないだろうか?」

「『嫌だ』『できない』といったネガティブな思いをポジティブな気持ちに変えることはできないだろうか?」

一筋縄にはいかない現実に直面しながら、何が問題なのか、どう解決するべきかといった疑問に苦しんだ。

私が「心を引き算する瞑想法」に出会ったのはそんな、 答えを求めてさまよい続け途方にくれていた頃だった。

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心から笑うってどういうこと?

私はなぜ仮面をかぶって行動するようになったのだろう?

私はいつも自分に対して「自分は善良で、前向きで、仕事に全力を尽くす情熱的な人間だ」という虚像を持っていた。それは現実の自分ではない理想の自分でしかないのだが、私は理想を現実だと錯覚していたのである。

現実の自分を受け入れることができず、自分が作り上げた理想の自分だけを周囲に見せようとばかりして疲れ果てるしかなかったのだ。

当時の私の口癖は「もう死にそう」だった。

「忙しくて死にそう」「疲れて死にそう」「眠くて死にそう」…そう口にしながらため息をつく私に母は忠告を繰り返したが、口癖が収まることはなかった。

そうして心は死んでいった。生きることが本当に苦しくて自殺も考えるほどだった。

自ら作り上げた“自分”という虚像を守るための壮絶な自己犠牲。

自分の心を誰にも開くことができず、積み上げた心の壁。

変化や発展という名目の下でひたすら前にばかり進もうとする自分。

自分一人の完璧な城に閉じこもり、四方を壁でおおって誰とも心を通わせることができなかった自分。

もうすべてを投げ出したかった。

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そんな時に出会ったのが、職務研修で取り組んだ「心を引き算する瞑想」だった。

瞑想を通して私は、コンプレックスを覆い隠すために分厚いヨロイを着込んできた自分自身と向き合うことができた。

生きてきた人生は、とりもなおさず自分一人の心の世界だった。

その世界を通して考え、判断し、行動してきた私はいつも自分だけが正しく、そのため他者を受け入れることができず、人を押しのけるしかなかった。

その一方で、そうする自分自身が嫌いだった。

ふり返ってみると、私の心には“憎しみ”が多かった。

幼少の頃から男の子のようにヤンチャだった私には、赤いワンピースも黄色い靴も似合わないファッションだった。

かつて一度、リボンの付いた花柄の赤いワンピースを母がプレゼントしてくれたことがあった。

着てみると我ながらじつに似合わなかった。

すぐさま妹にあげたワンピース。妹にはピッタリだった。

そうして一つひとつ心に刻み付けてきた感情の数々…。

体が大きくなるにつれて私の心の中の“嫌いな自分”も大きくなっていった。それを隠すために目の前のことに懸命に努力してきたが、“嫌いな自分”から自由になることはできなかった。

自分の心の中に“嫌いな自分”という虚像を抱えている限り、そこから自由にはなれないということを、そしてそんな自分を手放した時にそうした心がなくなることを瞑想を通して私は悟ったのだった。

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嫌いな自分を投げ捨てる

夢見ていた“良い先生”についても同様だった。私は良い先生になりたかったが、良い先生には決してなりようがなかった。

私の心の中に憎しみが一つでもあったら、それは子供たちを憎むことになり、心の中に苛立ちの種があれば、それは子供たちにばら撒かれることになる。そんなことに無知だった私は、外に出しさえしなければやり過ごせるものと思っていた。ひたすら耐えれば何とかなると考えていたのだ。

また「私は一生懸命にやっている」という考えは、「他の教員たちはそうではない」という思いを持つことにつながった。そうして他者に対して不信の壁を作りながら、私はハリネズミのように誰も寄せつけようとしなかった。だから寂しかった。一人だった。

それでも、それが自分の道だと言い聞かせながら私は一人だけの心の世界を強固に作り上げていったのだった。

けれども今ならわかる。心がすなわち実際であるということを。どのような心を持つかによって心はそうなるし、結果もそうなるということを。

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畑に大豆をまけば大豆ができ、アズキをまけばアズキができるように、ネガティブな心を持てばネガティブな結果が生まれ、ポジティブな心を持てばポジティブな結果が生まれるのは当然なのに、瞑想と出会う以前の私はあまりにネガティブだった。

疲れた心、ダメだと思う心、比べる心、後悔する心、憎む心、不信の心、そんな否定的な心では自分ひとりが生きていくことさえ大変なのに、子供たちに良い変化をもたらすことなどできるはずもない。

間違った生き方をしてきた自分の人生を瞑想を通して手放しながら、どれほど泣いたかわからない。

その涙は後悔と反省の涙ではなく、偽りの自分から自由になれたことへの感謝の涙だった。

本当の人生を歩むことができる喜びの涙であり、これからは子供たちを手助けできるという希望に対する感動の涙だった。

心を引き算する瞑想は、自分が人生で作り上げてきた自分だけの心の世界をきれいさっぱり痛快に解体してくれた。

私は暗くて孤独なつらい心の世界から抜け出てこの世の中と一つになって、人々と見つめあい、語りあい、笑いあえるようになった。

昔は幸せそうなふりをするのに大変だったが、今はもう無理してそうしなくてもよくなった。

心が幸福なら笑顔は自然にこぼれるものなのだ。本当の笑顔が。

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