心を捨てる。思い込みと習慣を変える。
驚くべき「引き算の瞑想」の効果
P・Jさん/歯科医師
写真:https://unsplash.com
40歳になった時、私の心と体は満身創痍の状態だった。
特に病気を抱えていたわけではないが、常に疲労感とあせりを抱え、無気力のまま日々をどうにかやり過ごしているといった感じだった。
朝になると「また一日が始まるのか…」。ため息と共に過ごす一日一日が本当に苦痛だった。作り笑顔をし、親切な態度をよそおう一方で、私の心はどんどんすり減っていることに気付かなかった。変化の光が訪れたのは、崖っぷちにまで追い込まれていたその頃だった。
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築き上げたものを守ろうとする欲望と執着
「疲れているみたいね」
帰宅すると毎日のように妻から言われた言葉だ。
病院では緊張の連続。それは、これまで築き上げてきたものを守ろうとする必死さからだった。
人から褒められることには慣れていたが、批判されることには到底耐えられない。私はそんな状態だった。特に歯科治療は人の体を扱うものである分、いつも断崖絶壁に立たされているような気分だった。患者が治療に満足してくれるか、治療は上手くいったかに気をもみ、心配が尽きなかった。どのような治療も完璧にしなければならないという考えは、ある面では責任感の表れとも言えるが、その根っこには誰からも嫌われたくないという思いが隠されていた。
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私は爆発寸前の時限爆弾だった。退勤時刻には疲れ果てて、酒で気を紛らわせる時以外は帰宅すると寝室に直行した。
日曜夕方になると急に頭が痛くなる“月曜病”にも悩まされた。病院で一日じゅう患者と話をしていると家では会話自体がめんどうになった。子供たちに見せる私の姿は、イライラしているか腹を立てているか、そうでなければTVを見ているか寝ているか…それがすべてだった。
たまに出かける外食や旅行も家族に対する義務的なものに過ぎなかった。そうするうちに私は家族の中で疎外感を強く覚えるようになっていった。私がいるとみなどこかぎこちなく、緊張しているように感じられ、私が自室にいる時にはリビングから明るい笑い声が聞こえたり、寝ている間に妻と子供たちだけで外食に出かけていたり…。妻や子供たちとの壁はどんどん分厚いものになっていった。
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家族を“管理すべき所有物”としか考えていなかった自分
私との対話を試みてきた妻も、怒ってばかりの私の姿に愛想を尽かしたようだった。やがて私は自殺衝動に駆られるようになった。すでに心の状態が限界に来ているサインだった。
ある冬の日、家族と共に海へ出かけると、海の中へ身投げしたい強い思いに駆られた。高い場所へ上ると飛び降りたい気持ちになった。「私が死んだら家族はどうなるだろうか。両親はショックを受けるだろうな」などと思い悩んだあの頃は本当につらい時期だった。疎外感が頂点に達した頃、私は「心を引き算する瞑想」と出会った。
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半信半疑ではあったが、夏の休暇を利用して瞑想に取り組んだ。そうすると一週間、夜に本当に心地よく熟睡できた。あれほどまでに安らかな気持ちで眠ったのはいつ以来だろうか。心を引き算する瞑想に取り組んでまず最初に気付いたこと。それは、「自分はなんて自己中心的なんだろう」ということだった。
職場でも家庭でも自分だけのために生きてきた。誰かのために生きたことなど一度もなかったことに気付いた時には、穴があったら入りたい心境になった。お金、名誉、家族…あれほどつらい日々を送ることになったのは、自分が手にしたものを最後まで手放すまいとする執着と欲望のせいだった。
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経済的に苦しい家庭に育った私にとって家は休む場所として、職場は単にお金を稼ぐ場所としてしか考えていなかったことにも気が付いた。家庭は“家族と共に過ごす場所”ではなく、“自分が管理すべき所有物”としか思っていなかった。職場における完璧主義の習慣も自己満足と自尊心を満たすための行為だった。
思い込みと習慣を手放せたことが最も大きな変化
今この瞬間に最善を尽くし、結果を気にすることがなくなった。病院を訪れる人々にも感謝の気持ちを持てるようになった。より患者のことを大切に思えるようになり、自分が治療してやるんだという態度ではなく、治療に必要な情報を共有しケアするという態度で接するほどに親密な関係を築けるようになった。互いを思いやり支えあう一つの存在だとわかると、ストレスを感じたり緊張したりする理由がなくなった。
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以前は結果にいつも不満ばかりが残ったが、今はどんな状況になってもまず感謝の心を持てるようになった。そうなると、以前ではストレスになるようなことが、自分を成長させてくれる贈り物になった。
朝起きると私はイスに腰掛け、こう祈る。
「今日も自分のための一日ではなく、他の人々のための道具となれるような一日を送らせてください」。
妻も「心を引き算する瞑想」をするようになり、夫婦関係も兄妹のような気楽なものに変わった。
以前の私は子供を、親の意のままにしてもいい存在としか考えていなかったが、親に縛られることを心底嫌っていた自分自身がまったく同じことをわが子にしていることに気付き、瞑想を通してそうした自分を徹底的に捨て去った。そうして自分の思い込みや習慣を手放せるようになったことが最も大きな変化だ。
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また、以前は自分の乏しい知識と経験から人の行動に対して一方的な見方をしたり、そうして人を傷つけたりすることがあったが、瞑想を通して自分や周囲をふり返ってみると、私がいる時に家族が静かだったのも、私を置いて外食に出かけたことも、すべては私に休める時間を与えようとの家族の配慮であり愛であったことに気が付いた。すべては私一人、自己中心的な立場から疎外感を感じ、傷つき、苦しんでいただけだったのである。
自らの思い込みを手放してそこから自由でいられたら、苦しむ理由も相手を傷つける必要もないのだ。
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