職場での過度のストレスからパニック障害を患ったというG・Kさん。
「すべては心の問題」という医師の言葉から、空気の良い田舎へ移り住んだり、心に関する自己啓発書を数多く読んでみたりもしたものの、答えに出会うことはできなかったという。
“このまま死ぬんだな”と思い詰めていた時、同僚から勧められたのが心を引き算する瞑想だった。
心を引き算しただけなのに、パニック障害は何事も無かったかのように静かに消え去った。
心の病に苦しみ続けたある会社員の瞑想体験談。
心に過剰な負荷がかかるとパニック障害が起こる
入社して5年たった頃、私は他の支店に転勤になりました。不慣れな環境に適応する間もなく上司から浴びせられる指示の数々…。
処理しなければならない書類は常に山積みで目の回るような忙しさでした。
職場の人々ともよくもめました。
上司の一言に深く傷つき、一方で評価される同僚への劣等感は大きくなる一方でした。
「上司は他の部下ばかり可愛がり、私のことは嫌っている。出身地方も違うから良くしてもらえない…」。
周囲の人々の姿を自分勝手に解釈し、自らを苦しめ、私はどんどん卑屈になっていきました。自分が育った環境まで恨めしく思いました。田舎の島で育った私が上京してからずっと持ち続けていたコンプレックスでした。
小さなことまで根に持ち寛容でいられない自分が情けなく思われました。そんなある日のこと。
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会社で昼食をとり、イスにもたれて休んでいると不意に不安が襲ってきました。まるでそれまで全身に眠っていたスイッチが一気に入ったかのように、体中に不安感が押し寄せてきたのです。
退勤時間になるや否や会社を飛び出し帰宅しようとしたものの、気分が悪く帰りの電車に乗り続けていられず、途中下車しなければなりませんでした。あわてて病院を探し駆け込んだのは夜間の救急病棟でした。
冷や汗で全身びっしょりになり、呼吸するのも苦しく、頭から足のつま先までマヒしたかのようでした。「このまま死んでしまうかもしれない」。そう思いました。
これが、その後も続く病魔との戦いの始まりでした。
突然増えた仕事量は強いプレッシャーとなり、心に大きな負荷をかけていたのです。
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「薬は補助に過ぎない。心を入れ替えろ」と医師は言う。しかし、どうすれば…
病院の診察でパニック障害だと診断されました。医師からは「薬は補助的な役割を果たすに過ぎないから、心を入れ替えなければ良くならない」と言われました。でもそれでは一体、どうすれば心を入れ替えられるものなのか…どうしていいかわかりませんでした。
心は常に緊張状態で心臓の動悸にも悩まされていました。おおぜいの観客のいる舞台に立っているような気分。緊張がひどくなると過呼吸で息が出来なくなります。
いつそれがやってくるかもしれない不安から体重はどんどん落ちていきました。恐怖感に突然おそわれたり、地獄にいるような恐ろしさを24時間味わったこともありました。
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静かな環境に身を置けば症状が改善するかもしれないと思い、地方勤務を願い出たりもしました。しかしそうした場所でも症状に変わりはありませんでした。
その後、都市部の支店に戻りました。業務自体はさほど大変ではなくても、息が詰まるほどあわただしい大都市の業務習慣は相変わらずで、私が精神的にもろくストレスに弱いからこんな病気になったのだという思いが頭から離れませんでした。
心をコントロールできるという本も読み、心を落ち着かせようとしましたが、たいした効果はありませんでした。悪いことは重なるもので、引っ張られたギターの弦のように後頭部がひきつる症状まで現れ、絶え間ない死の恐怖にさらされる思いでした。
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小心な自分と共に静かに消え去ったパニック障害
40代に最も多いと言われる“突然死”。まさに自分がその犠牲になるのだなと思いました。そのとき不意に以前同僚から勧められた「心を引き算する瞑想」のことが頭に浮かびました。すぐさまセンターに行き、死ぬ気で心を捨てました。
この弱い心のためにこんな病気にまでかかり、これまでどれほど苦しんできたことか…。そんな心を捨て去ることができるということ自体、本当にありがたかった。
悲惨だった日々のことが脳裏に浮かびました。
家族の前で歌を歌うことすらできないほど小心で、学級会では一言も口にできなかった学生時代…。
自分は弱い。自分は小心者。そんな記憶の数々を思い浮かべ、こんな気弱な人間に自分を生んだ両親への恨みつらみも捨てました。
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私は周囲の人々に優しい善良な人でいたいと普段から思っていました。しかし自分の内面をふり返ってみると、人からほめられたいがために行動していただけだったということがわかりました。そのため、私なりに良くしてあげたと思っていた人から非難されたりすると大きく傷ついていたのです。
そうした心の傷の数々が私をさらに緊張させ、萎縮させていたのです。心の傷が私のストレスになっていたのでした。私はけんめいに心の傷を捨て続けました。
そうした心の傷の数々が私をさらに緊張させ、萎縮させていたのです。心の傷が私のストレスになっていたのでした。私はけんめいに心の傷を捨て続けました。
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そしてあるとき感じたのです。書類一枚、周囲の人から発せられる一言、上司の指示一つに縮み上がり傷ついていた自分という存在が消えてなくなってゆくのを…。
死ぬ気で心を捨てていただけなのに、私は少しずつ変わっていきました。そして私を苦しめてきたパニック障害もいつの間にか静かに消えていったのです。
本当に奇跡といっていいほどの出来事でした!
この世の中は自分の心をそっくりそのまま映し出す。つらく苦しいのならその心と向き合うこと。
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その後、当然のように職場での生活も変わりました。周囲とぶつかることも減り、物事を広く見て受け入れる余裕が生まれました。以前のように仕事に取り組む前から「上手くいくだろうか?」と心配し焦ることもなくなりました。結果は時間が経てば自然にわかるものなのだから、その過程で最善を尽くせばよいのだと思えるようになりました。
一緒に働く同僚たちにも感謝でき、人を批判するよりも自分が自分の仕事にベストを尽くせているかどうかを気にかけるようになりました。
すべてがあっという間に移り変わる現代。あらゆる人が「職場でのプレッシャーは増すばかりだ」と口にします。これまでのスタイルにこだわり、自分を変えようとしないのなら今後その重圧は増大する一方だと思います。
幸いにして私は心を捨てることによって、それまでの凝り固まった固定観念も同時に変えることができました。おかげで新しい分野への関心も生まれ、後輩たちにも気兼ねなく助けを求められるようになりました。
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人前ではまともに話すことも出来なかった私が、気がつけば家族をリードし、また同窓会のような集まりでは司会をするようになりました。多忙な日常ではありますが、暮らしに追われているという思いはありません。いつも前向きです。
「この世は自分の心をあるがままに見せてくれるものだ」という言葉があります。今この瞬間、ストレスで苦しんでいたり、好ましくない出来事によって悩んでいるのなら、まずは自分自身の心から見つめ直してみることを私はお勧めしたいです。
自分のことを振り返ってみることができるということは、とりもなおさず新しい自分、新しい世界と出会う準備が出来ているということなのです。