K・Kさん/医師
生老病死。その四つが交錯する現場で医師として
生まれること、老いること、病気になること、そして死ぬこと。病院には生老病死という、人生におけるすべてのストーリーが存在します。そこには人生の縮図があると言ってもいいでしょう。
研修医のころから私はじつに多くの人の死を目の当たりにしてきました。
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「〇月〇日〇時〇分、ご臨終です」
私も以前は、医師としてありとあらゆる知識と能力を総動員して懸命の処置を施しても、努力の甲斐なく一人の命が消えるときには大きな虚しさを覚えたものです。
そうした経験のせいか、私は命ある限り、少しでも世の中の役に立てる人間になりたいと思い続けてきたように思います。
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私が担当する科には風邪を始め、糖尿病や高血圧、心臓病、甲状腺疾患など様々な病気を抱えた方々が訪れます。
私が腐心するのは、患者の方のお話に耳を傾け、治療方針を考えながらもまずは患者の方の内面を解きほぐすことです。
「病気が治らなかったらどうしよう」「これからどう生活していけばいいのか」
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そんな不安や恐れをまずは手放せるよう十分に話をし「こうすれば治る病気ですよ」と説明するだけでも患者の方の表情は明るくなり、治療もずっとうまくいくようになるのです。
どのような心を持つかによって病状にも変化が起こる
私が心の力を知り、まず何よりも患者の方々の心のケアを最優先に考えるようになったのは「心を引き算する瞑想」と出会ったことがきっかけでした。
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心を手放しただけでケガや病気が改善した人々を本当に多く目にしました。
不安症やうつ病、パニック障害などの精神的な疾患だけでなく、糖尿病、腎臓病、関節炎、乳がん、白血病、胃がんなどの身体的な疾患まで多岐にわたるものでした。
当初は「どうしてこんなことが起こるのか」と本当に不思議でした。
東洋医学では「人間は小さな宇宙であり、体と心は一つである」という全体的な観点から病気を診断しますが、西洋医学では「この病気は〇〇というウィルスが原因だからウィルスを除去しなければならない」といった考え方が一般的です。
私も当初、心を手放すことで病気が治るメカニズムを説明することは困難でした。
しかしながらストレスや怒りといった感情がホルモンや血圧に影響を与えて病気を引き起こすこと、そうした心を手放すことで病状が好転することは明らかな事実でした。
現在、心を引き算する瞑想を実践している医師や博士課程の研究生が集まり、心と病気との関係をもう少し科学的に証明できるよう研究中です。
私自身、医師として身体的な側面からだけでなく、心という要素まで考慮に入れて病気を全体的に捉えられれるようになったことは実に幸福なことだと感じています。
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医者でなければ幸せになれないのか? 迷いの中で出会った“心の引き算”
心を引き算する瞑想と出会ったのは医大生だった時です。
医大生と言えば医師の道へと進む輝かしいイメージがあるかもしれませんが、私には様々な迷いや葛藤がありました。
軍隊的とも呼べる厳しい上下関係、息つく暇もない授業の毎日、高圧的な実習先の雰囲気、そしてお金や名誉ばかりを追い求めているかのような人々の姿…。
本当にこれが私の望む人生なのか。
医者にならなければ幸せにはなれないのか。
私がここにいるのは世間体や両親の期待に応えるためなのだろうか。
そんな激しい葛藤の中、私は心を引き算する瞑想と出会ったのでした。
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何か人生の答えを見つけられそうな感じがしたのです。
自分が本当の人生を生きているのではなく、自分だけの世界を強固に作り上げながらその中に閉じこもっている事実に瞑想を通して気付いたことは本当に衝撃でした。
一日も早くこの世界から抜け出したい。
そう思いました。
だから必死で心を手放す瞑想に取り組みました。
するとある時わかったのです。
自分が心の世界から抜け出たこと、この世の中はもともと一つだったこと、そしてこの一つの世界こそ本当の世界であることを。
そうして私の迷いと葛藤、心の放浪の旅は終わりを迎えたのでした。
中学生のころ、漠然と「誰かを助けられる人になりたい」と思って選んだ医師という職業。私はその道をただ歩み、そのまま自分の夢を実現していえば良かったのです。
医師にならなければ幸せになれないのだろうかと思い悩みましたが、私が苦労して身に着けた医学の知識で患者の方を助けることができたとき、私はすでにこれ以上ないほど幸せだったのです。
その幸福に対する感謝を覆い隠していた様々な迷いや葛藤は、自分が作り上げた心の世界の中に起こった妄想でしかありませんでした。
過去ではない今ここで、他人の基準から見た“幸せな人生”ではなく、私自身が心から望んだ人生をただ生きればいいということに気付いたのです。
医療ボランティアを通じて分かち合う人生の喜び
今は毎朝、私を待つ患者の方々のいる病院へと向かえること自体に感謝です。
私が夢見ていた理想の医師とは、患者の方がなんでも気楽に相談できる“その人だけの主治医”であれる医師でした。
それは長らく現実には実現困難な理想像でしかありませんでしたが、心を引き算する瞑想はそうした理想が実現可能だという希望を与えてくれました。
私は今、心を引き算する瞑想を実践する医療関係者たちで作った医療ボランティアグループに参加しています。
無償の医療活動というと、能力や経済的な面で十分な余裕がなければ不可能だと以前は思っていましたが、実際はそうではありませんでした。
自分が手にしているものが小さなものであったとしても、それを他者と分かち合おうという心があれば、分かち合うことは可能なのです。
「何の見返りも求めずに奉仕し分け与えることは、神を悟った者には当たり前のこと」
ボランティアグループのある先輩の言葉です。
私もそんな心で医師の道を歩んでいきたいと思います。